126回


 第126回定期演奏会 

2001年12月
15日(土) 東京文化会館大ホール


演奏曲目
  1. 学生指揮 男声合唱曲集「空に、樹に…」
  2. 畑中指揮 男声合唱版「日本の笛」より
  3. 北村指揮 男声合唱組曲「尾崎喜八の詩から」
  4. 畑中指揮 歌劇「タンホイザー」より

先生の言葉 畑中北村大久保久邇谷池平野大川綱川

作詩作曲編曲者の言葉他 新実多田濱野
 PROGRAM 

慶應義塾塾歌
第1ステージ
男声合唱曲集「空に、樹に…」

  1. 生きる
  2. 天へ昇った川
  3. 聞こえる

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第2ステージ
男声合唱版「日本の笛」より

  1. 祭もどり
  2. 搗布とたんぽぽ
  3. 親船子船
  4. あの子この子
  5. ぬしは牛飼
  6. びいでびいで
  7. 追分
  8. 夏の宵月
  9. 山は雪かよ
  10. ちびツグミ
  11. 野焼のころ

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第3ステージ
男声合唱組曲「尾崎喜八の詩から」
(現役・OB合同ステージ)
  1. 冬野
  2. 最後の雪に
  3. 春愁
  4. 天上沢
  5. 牧場
  6. かけす

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第4ステージ
歌劇「タンホイザー」より
(現役・OB合同ステージ)
  1. 殿堂のアリア
  2. 大行進曲
  3. 巡礼の合唱
  4. エリーザベトの祈り
  5. 夕星の歌
  6. フィナーレ

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 先生の言葉 

専任指揮者・畑中 良輔
情熱の使者

 最近の評論壇では「青春の終焉」がよくテーマに取り上げられる。21世紀に「青春」はあり得ず、青春は60年代に既に終わりを告げたのだ、と言う。
 確かに今の学生に“60年代”の、あの烈しい、エネルギーに満ちた日々を見る事は不可能だ。学生すべてが《連繋》の中で、既存の体制に立ち向かったあの“力”はどこへ消えてしまったのだろうか。
 その頃私は芸大の教官だった。学生達と夜を徹し、美術学部のグランドの一隅で星の下、寒さに震えながらも夜の白んで来る迄論争し合った。あの憑かれたような“情熱”は一体何だったのだろうかと、この時代にあって考え込む時が多くなった。時の推移と共に学生達の情熱は以前のような“炎”の力を失っていった。それはこの社会にモノが溢れ始め、生産過剰時代に入ってからだと論じられている。人間がモノに支配され、人間同士の「対話」がなくなり、手を繋ぎ合うこともなくなって来たのである。手をとり合うよりも携帯中毒の学生に溢れ、思考を深める以前に、反射的会話の中に身を置く事によって《自己確認の安心》を確かめる時代がやって来た。
 ひとつの事に一生を賭けるなど、今の学生にとってはナンセンスな行為と映る時代。そんな危なっかしい夢を見る間には、着実な人生設計を醒めた精神の中で考える。私は43年間このワグネル男声合唱団を振り続け、「在団の四年間こそ一生を賭けるに値する行動だ」と語り続けて来た。合唱は一人では成立しない。声を合わせる事によってひとつのものを作り上げるために、絶えず新しいエネルギーに満ちた《情熱》が必要なのである。手を取り合うことが今の世代にとって煩わしく、時間の消費に終わってしまうと考えられているのだろうか。現在メンバーは確実に減少傾向を続けているが、こうした個々への「引きこもり」が、「生きる価値」を見失わせているようなこの時代にあって、敢然と「生きる価値」に向かい、原始の情熱をもって行動する者達の出現を私は信じたい。
 いま、確実に地球は、人類は亡びの道へと踏み込んだ。その愚かさゆえに。日々の新聞やTVニュースは《人間の存在》を裏切るシーンを生々しく伝えてくる。人間の感性などどこへ消え去ったのか。
 何ものかに「賭ける」という人間の願い、希望、祈りが、ワグネリアンにとって、この四年間であって欲しい。「かけがえのない四年間」でなくてはならない。手を取り合い、声を合わせあい、音楽という人間がつくり出した最も純粋な時間の中で、われわれは人々と語り合わねばならない。少なくともワグネルの中には、まだ人生に情熱を傾けて、夜を徹して語り合える場はある筈なのだ。私は自分を老齢ながらもそうした《情熱の使者》だと思い続けている。「青春の終焉」などあってはならない!

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客演指揮者・北村 協一
100周年と尾崎喜八

 2001年、慶應義塾ワグネル・ソサィエティーは創立100周年を迎えた。先の11月3日には、男声、女声、オーケストラ、それぞれ現役とOB6パートの大合同でその記念演奏会を見事に終え、今日は男声合唱団が創立100周年記念演奏会を持つ。1901年にワグネルが創部され、1903年に三田の演説館での第一回演奏会から男声合唱が歌われて、今日まで男声合唱は歌い継がれてきたことになる。この100周年記念演奏会、私は現役とOBの合同で演奏することにした。しかも多田武彦氏の作品で。
 元来、どの学生の合唱団も現役と先輩の絆は固い、と世間一般は考えがちだ。私がいろんな学生合唱団と付合ってきて思ったことは、どの合唱団も意外にもお互いは近くて遠い存在だということだ。現役は、時折現れては意見する先輩を煙たがり、先輩は自分たちの現役のころの思い出でいっぱい、あまり現役の活動を知らず、その分不安でならない。しかもお互いの接点はごく偶にしか持てない。だから相互理解が不足している結果、疎遠になってしまう。私にはそう見える。
 音楽の中でもアンサンブルが最優先される合唱は相互理解なしには成り立たない。仲間を知り、自分を理解して貰い、そして生まれる信頼の上にしか良いアンサンブルは創られない、と私は常日頃から信じている。
 普通、こういった合同演奏をする時はそれぞれで練習し、準備を整えた上、一回か二回ぐらい合わせの練習をして本番を迎える。もっと時間をかけ練習したいと思っても、お互いがスケジュールに追われていてそれ以上時間がとれないのが主な原因だと思うが、しかし今回は100周年でもあるし、最初の譜読みの段階から、すべて合同でやる、ということを条件として提案、その了解の下、練習を重ねて来た。
 多田作品を選んだ理由は、まず尾崎喜八の詩にある。自ら畑仕事や登山をしながら創ったそれは、自由詩の形を持ち、自然の中に自分を置き、自然と共に生き、自然との親しい対話を通して生まれ、磨かれた平明さのある言葉達。私はとても共感を覚えるし、年代を超えて参加される皆に分かってもらえると考えたこと。彼の詩に作曲された多田さんの、詩の選択のセンスの良さ、メロディーの豊富さ、よくハーモニーが生まれるように配置された各声部の音、しかも歌いやすく、合唱を楽しめる作品であること。等を考えた。
 最近の日本の合唱は何か大切なものを置き忘れてきたように思える。コンクール等を聴いていて、しきりと思うのは、技術ばかりを追求する曲が多く、残念ながらそこにアンサンブル感覚が希薄、音楽の大切な要素であるハーモニーが不在していると思う。そして最も憂うべき事はそこには技術の披瀝はあっても、音楽がない事だろう。音楽って読んで字のごとく「音を楽しむ」事ではないだろうか/私とて演奏上必要な技術を否定はしない。良い音楽を創る時、音楽の表現に必要な技術は磨かなければいけない。しかし技術ばかりで音楽は作れないのだ。もっと合唱音楽にハーモニーを取り戻す事を、今合唱する人達は真剣に考えなければと思う。合唱にハーモニーを復活させよ、今すぐにも!
 ハーモニーのルネッサンスを提唱する意味でも、今回の演奏を成功させたいと、毎回の練習に臨んでいる。目に見える技術、いや、耳だつ技術ばかりが音楽ではないことを、歌うメンバーにも体で感じ表現して欲しい。音符の向こうにある音楽を引き出して欲しい。    

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ヴォイストレーナー・大久保 昭男
創立100周年第126回定期演奏会に寄せて

 今年はワグネルの男声合唱団創立100周年という記念すべき時の定期演奏会にあたり心からお祝い申し上げます。
 今回はOBの皆様方のお力を加えて、合同ステージを二つ歌います。毎年、大学合唱団というものは人数がその年によって変わりますが、長い伝統が堂々と続き、その魂は少しも変わりません。
 一人一人の努力と忍耐、音楽を歌う勉強の積み重ねによって、今宵素晴らしい立派な花が咲くわけです。
 高度な合唱演奏は、正しい発声を基に、一糸乱れないアンサンブルが望まれます。
 ビールを飲んで楽しく歌う打ち上げの時の歌とは全く異なるものです。
 私の好きな洋蘭が、この秋も美しく咲き始めました。一年間のたゆまぬ愛情に報いて見事に花開き、私を喜ばせてくれるように、深く心に残る歌を聞かせてくださることを願ってやみません。  

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ピアニスト・久邇 之宜
新たなる飛躍への祈念

 このたび慶應ワグネル・ソサィエティー男声合唱団100周年記念演奏会に参加させて頂き、畑中良輔先生の棒のもと、谷池先生とワーグナーを演奏することは、私にとってこのうえない喜びであります。畑中先生の棒を一度でも経験した人ならばわかると思いますが、先生の魔術に乗せられて音楽の波間を漂うあの至福の一刻を味わえる事に勝る喜びはありません。そのような機会を与えて下さった事に対して、心よりお礼申し上げます。
 ワグネルに私がはじめてお邪魔したのが、かれこれ四半世紀前になりますから今の現役諸君はおそらくこの世にまだ生を受けていなかった事と思います。自分の年をひけらかしてどうする、と笑われましょうが、私がこの世界に足を踏み入れた時には、ワグネル・トーンは既に合唱界の羨望であり、目標でありました。ひよっ子でありました私が、畑中先生や、故木下先生のもとでご一緒できますことは誇り高い事でした。偉大な歴史と先輩達をおもちになる、ということはある意味で大変なプレッシャーであろうとお察しいたしますが、恵まれた環境を羨む者は私だけではないはずです。より一層の精進を期待しています。  

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ピアニスト・谷池 重紬子
創立100周年第126回定期演奏会に寄せて

 創立100周年定期演奏会おめでとうございます。ひとくちに100年と申しましてもこれだけ長い間歌い続けてこられたことは、ひとえに皆様の音楽に対する熱意と大変な努力のたまものだと思います。
 私がワグネルとおつきあいさせていただくようになったのは1989年の“愛の歌”からで、この長い歴史からすると、ほんの一部にしかすぎないのですが、毎年の定期演奏会を通じ、ご指導下さっている先生はじめ皆様と御一緒するたびに、いろいろと学ぶことが多くあり、いつも心から感謝いたしております。
 21世紀に入り皆が平和を願っているにもかかわらず、テロ、戦争etc.と不安な世の中に生きていることをひしひしと感じておりますが、また今だからこそ人の魂と精神に語りかける音楽が必要なのではないでしょうか。
 今宵はワグネル・ソサィエティー男声合唱団の歴史をささえてこられたOBの皆様と御一緒するステージもあり創立100周年にふさわしい素晴らしい舞台になることを願っております。  

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独唱・平野 忠彦
ブラボー・ワグネル100

 あれは小生が高校2年の時、ワグネル地方公演として山梨県甲府市に「ワグネル男声合唱」が来た。何が何だか解らないまま、とにかく聴きに行った。プログラムは全て忘れてしまったが、ソリストは芸大からNHKに入った岡弘道さんだったことを憶えている。彼はワグネルを出てから芸大に入り、そして小生と同級生となった。はじめて聴いた男声合唱、聴き終わった時、耳がジンジンして天にも昇る気持ちだった。今から47年前の話。そんなワグネルと芸大を卒業した小生は畑中良輔先生を通して、ワグネルと付合う事になる。「タンホイザー」の「夕星の歌」。まさか、あのワグネルと一緒に歌うなんて、思ってもみなかった。その「夕星の歌」も今回で3回目。伝統に輝くワグネル100周年記念演奏会、実に素晴らしいこと。そんなステージでワグネルのメンバーと歌うことが出来るのは、今から血湧き肉踊る思いである。久しぶりの師弟共演に加えて同門の大川隆子さん、実に楽しみである。  

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独唱・大川 隆子
創立100周年、おめでとう!

 慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団の創立100周年、おめでとうございます。一つの演奏団体、一つの合唱団体が一世紀も生き続け、今度126回目の定期を開くということは、戦時中の事も考えると、驚くべき演奏実績だと驚嘆します。その記念の演奏会にお声をかけていただき、嬉しくも光栄に存じます。
 1903年に日本における最初のオペラとされるグルックの「オルフォイス」が東京音楽学校(現芸大)の奏楽堂で行われました。はじめは「タンホイザー」選ばれたようですが、さすがに上演困難と判断して「オルフォイス」に落ち着いたそうです。ワーグナーが実現した楽劇(ムジークドラマ)はオペラに憧れを持った当時の芸術家たちの理想であり、そうした機運から生まれたのがワグネル・ソサィエティーであったということです。私もワーグナーは大好きで今日の出演に因縁めいたものを感じます。
 歴史と伝統のワグネルが今度は将来の100年に向かって頑張って欲しいと思います。
 

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ヴォイストレーナー・綱川 立彦
創立100周年第126回定期演奏会に寄せて

 「今年のワグネルの合宿のヴォイストレーニングを手伝ってくれない?」敬愛する師匠・畑中先生の、突然の電話により私とワグネルとの付き合いは始まった。
 私のこの合唱団に対する第一印象を正直に述べよう。初めて聞いたその響きは思いのほか弱く、また歌唱力も今ひとつといったところで、むしろ微力ながら私の出番ありと意欲が湧いてきた。練習場の空気は下手な音大の学生にも見ることができないほど活気があるのだから、テクニカルに歌うことができればさらに良くなるに違いない。そこで、合宿ではかなり過酷な課題を彼等に課してみることにした。私も大変なのだが、彼等はもっと大変である。しかし、参加した全員が予想した以上に熱心に私の指導に応えてくれた。この勢いであればきっと近い将来、何らかの変化が良い形となって現れるに違いないとと感じながら合宿地を後にした。
 現在、ワグネルの団員数はその最盛期からは見る影も無い。しかし、彼ら一人一人の努力を見守ってみたい。繊細かつ壮大なワグネルサウンドがよみがえるその日まで。  

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 作詩・作曲・編曲者より 

作曲者・新実 徳英
創立100周年第126回定期演奏会に寄せて

 今回ワグネルの諸君が<空に、樹に…>に取り組んで下さること、とても嬉しく思います。
 生きることと自然とのかかわりがテーマとなっているこれらの3曲を、大学生の皆さんが、つまり日本の将来を担う人たちが、そのテーマを心から歌い上げる、こんな素晴らしいことはないと思います。
 今、この地球に黒い雲が立ちこめてきそうです。その時、音楽は無力だろうか。そうかもしれない。けれど、皆が本気で歌うということは、その詩を、そのテーマを自分の志として表現することだ。であれば、それはきっと皆の裡に、そして聴いてくださる人々に伝わり浸み入っていくに違いない。僕は音楽の力を信じたい。
 栄えある創立100周年記念のこの演奏会に、諸君の歌声が高らかに、そして深く響きわたることだろう。その音、その響きを共に分かち合いたいと心より願っています。  

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作曲者・多田 武彦
ワグネルと私・番外編

 創立100周年心からお祝い申し上げる。その栄えある年の定期演奏会に、私の作品を取り上げて頂き、厚く御礼を申し上げたい。
 「現役・OBの諸兄から、メッセージを」とのご伝言を濱野憲衛さんから頂いた。濱野さんも「ワグネルと多田武彦」を書かれる様だが、ふと思い付いて、私は番外編を書いてみることにした。
  1. 私が慶応義塾大学を初めて知ったのは1937年・小学1年の時である。当時東大の学生だった叔父は大の野球好きで、大学の休みに大阪に帰省してくると、私に野球のルールや早慶戦の模様などを話して聞かせた。その内何故か私は慶應ファンになった。グレイのユニフォーム、白木・高木の両投手、大舘・飯島・宇野などの内野陣、別当・根津などの外野陣。特にトップバッター根津の、三塁ベース上を抜く二塁打に胸を躍らせた。
  2. 1952年京大男声合唱団は関西へ演奏旅行中のワグネルと京都で初めての交歓演奏会を開いた。田中孝さん指揮のワグネルは、アンサンブルの良い、ハーモニーの美しい演奏を披露し、都乙女を魅了した。この年の京大男声合唱団も上京し早慶京さん大学の交歓演奏会を持った。会場は慶應義塾大学三田キャンパスの中の一教室。交歓演奏会もさることながら、幼少時からの慶應ファンにとっては、校門も教室も憧れの殿堂だった。
  3. 1960年、ワグネルは、畑中良輔・北村協一両先生を指揮者に迎えた。終戦後、日本の合唱界は急成長を遂げたが、「千年以上の歴史を持つ西洋音楽の構築性」を遵守して演奏するのは、関西学院グリークラブのほか数団体しかなかった。しかしこの年のワグネルは、先輩の築いてきた地道な基礎の上に、「西洋音楽のもつ、堅牢かつ多彩な構築性」を確立し、定演で聴衆を驚かせた。爾来41年間、不撓の伝統継承力によりますます磨きがかかり、100周年を迎えた。
  4. 「多田のCDに、畑中先生指揮のワグネルと北村先生指揮の関学グリーの演奏が多いのは何故か」とよく尋ねられる。特に理由はないが、お二人とも歌舞伎に詳しい。私の祖父や父が興行会社の役員をしていて、私も子供の頃から歌舞伎を見ていたせいか、私の作品には「歌舞伎の間(ま)」「通し狂言に見られる起承転結」「所作事に見られる緩急や抑揚」「幕切れの妙」などが散見される。両先生はこれを見抜いて、西洋音楽の構築性の中に見事に溶け込ませる。ワグネルも関学グリーも両先生の意を帯して演奏してくれる。そして私は、ひそかに感動しつつ、これに聴き入る。

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濱野 憲衛(S38年卒)
ワグネルと多田武彦

 ワグネル男声合唱団の演奏史に作曲者多田武彦の名が最初に現れたのは、1959年の東京六連第6回演奏会である。男声合唱組曲「富士山」より第肆と第拾陸が、「邦人作品集」として清水脩作曲「三つの俗歌」と共に、助川弘毅(学生指揮者)により演奏された。  ワグネル男声合唱団は、1960年より100周年記念126回定演の今宵まで、1度の定演も欠かすことなく畑中良輔先生の御指導を頂いているが、同年6月の第9回六連で多田作品「塩田小唄」が「日本民謡集」の1曲として演奏された。このステージの演奏は、音楽表現の水準の高さにおいて、ワグネル史上、後世にまで語り継がれることとなる。翌1961年の第86回定演では、委嘱作品「草野心平の詩から」が畑中先生の指揮により演奏された。プログラムに寄せられた畑中先生の「すぎしものへ」と題する文章は、御自身の戦争体験を楽曲(組曲第一曲目の「石家荘にて」)に重ね、心象風景として表現されたが、楽曲と共にワグネリアンの心に深く刻まれた。この頃のワグネルにつき多田先生は、“畑中良輔先生を常任指揮者に迎え、楽曲の演奏技術と精神的内容の表現に格段の進歩を見せた”と、畑中先生・ワグネルの「草野心平の詩から」3度目のレコーディングに際し、作曲家ノートに記された。畑中先生は初演に続き、109回・117回の定演でも「草野心平の詩から」を演奏され、同時期にレコーディングもされた。畑中先生が定演で指揮をされた多田作品は、他に「雪明りの路」(伊藤整詩)(94回)、「中勘助の詩から」(中勘助詩)(108回)、「東京景物詩」(北原白秋詩)(121回)があり、それぞれレコーディングもされた。(「柳河風俗詩」はレコーディングだけされている。)
 ワグネルが最初に北村協一先生に御指導をお願いしたのは女声合唱団で、1955年7月のことであった。男声合唱団と女声合唱団は、第84回定演(1959年12月)間で、合同で定演を開催していたが、この合同開催最後の定演で男声合唱団は「ロバートショウ合唱曲集」を北村先生に指揮して頂いた。畑中先生にご指導をお願いする一年前のことである。北村先生は、関西学院グリー・立教グリー・Around Singers等全国の有力合唱団で、多田作品を数多く演奏・レコーディングされているが、「尾崎喜八の詩から」・「雪国にて」(堀口大學詩)・「ソネット集」(立原道造詩)・「月に寄せる歌」(北原白秋詩)・「遠い母に」(大木惇夫詩)等11作品の初演も手がけられた。ワグネルでの多田作品は、103回の「草野心平の詩から」を嚆矢とするが、113回と120回では「在りし日の歌」(中原中也詩)を、122回では「雪明りの路」を演奏され、今回の「尾崎喜八の詩から」が4作品目である。両先生のステージとは別に学生指揮者も度々取上げ、「富士山」・「草野心平の詩から」・「わがふるき日の歌」が夫々2回、「蛙」・「北斗の海」「海に寄せる歌」が各々1回演奏された。
 「尾崎喜八の詩から」を作曲された時期の多田先生は、“「昭和48年(1973年)、17年ぶりに郷里の大阪に帰った。3年ほど作曲から遠ざかっていたが、新曲を書くことになって」、「尾崎喜八先生の詩と出会った」。「自然な姿で美しい日本語が配置されていたので、充実した心で作曲することができたことを思い出す。」”(組曲「樅の木の歌」初演記念楽譜によせて)と「かけす」との出会いに触れ、『とんで行くのがじつに秋だ』、『空気の波をおもたくわけて』、『深まる秋のあおくつめたい空の海』などを「美しい日本語」の例に引いておられる。更に、「西欧の古典音楽にも極めて造詣の深かった詩人尾崎喜八の詩は、“自然と心から詩を歌い出すこと、それが詩人尾崎喜八の全生命である。”自由詩特有の難度が見られたが、じっくり取組んでゆくと、そこには“そのまま音楽になっても不思議でない構成力”と初演のプログラムに寄せている。自然と人間の関りを温かい視線で表現する尾崎喜八にとって、風景と人間は一体の生命であり、現実の風景と自己の内なる風景は切り離せないものであるに違いないが、韻律を有する「詩」というよりも、散文に近い自由詩をも、多田先生は自らの世界に引き寄せた。

 多田先生が新境地を開いた「尾崎喜八の詩から」を、北村先生指揮による現役・OB合同ステージで演奏することは意義が深い。ワグネルの新たなる地平を標榜できたらと願う。   

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