| 第125回定期演奏会 |
| 17日 | (土) | 練馬文化センター大ホール |
| PROGRAM |
第2ステージ
第3ステージ
第4ステージ
| 先生の言葉 |
今年の夏期合宿はとうとう参加出来なかった。ワグネルを振りはじめて丁度40年、合宿に行けなかったのは過去3回位だったろう。
それもバイロイトやザルツブルグヘの仕事の関係で止むなくワグネルを割愛したのだ。合宿は、定期的練習とまったく異なる状況で集中的な猛特訓となる。私は朝10時から(その前に発声トレーニングがある)夜の9時まで、そのあいだ昼食、夕食の休みだけで、ぶっつづけての稽古である。私は稽古の棒振りの時、絶対に腰かけない。何時間も立ったままで振り続ける。椅子に腰を下ろすと自分自身の集中力、持続力が希薄になるし、自分自身の呼吸も浅くなって、完全なブレスコントロールが不可能になるからである。声を出すことは全身の筋肉を使うことであって、口先だけでは本当の声は出ない。ブレスの深くない棒を振ればブレスの浅い声しか返って来ないのである。
今や日本は世界の合唱団にまで成長した。どんな難曲でも完璧にこなしていく。その能力は世界の人たちを驚かせるに充分だ。しかし“音楽を愉しんでいるのか?”ということになるといささか頼りない。義務と責任感と努力で日本の合唱は盛んになり進展してきたが、肝心の“音楽への愛”はどうなのだろうか。歌うことは、人間の存在の証しであり、生きることへの愛であって欲しい。生きることは、人間に与えられた最大の権利であり、同時に神が人間に与えた最大の愛である。人間の全存在を賭けた「声」を、一人一人に獲得して欲しい、「声を出す」と言う意味を追求して欲しい。そして「歌」となるためのコトバも。
コトバによって人間は理解し、共感し合えるとすれば、そのコトバのもつ深さ、感受力、思考力のすべての働きが、ひとつのコトバ、一行の詩の中から自分の中に抽き出されなければならない。何の考えもなく歌ってはならない。日々の惰性の中に風化してはならない。
今年度はアーンとマーラーを選んだが、フランスの繊細な言葉と音との世界、そして若きマーラーの青年時代の苦悩と浄化が、どのように紡ぎ出されて来るか。
例年ならば、合宿の一日の半分位を使って「音楽と生きる道」について人生論的な話をしたり、作曲家、作品について話したり、の時間を持ったりするのだが、今年は止むなく、そのメンタルな部分が欠け落ちた。途方もない私の忙しさのせいで、申し訳なく思っているが、これから定演の日までの猛練習の中でそれらが取り戻せたら――と思っている。
この《精神虚弱の時代》に押し流されず自己の立っているその“場”をしっかりみつめ、自分の足で歩けるようなワグネリアンを私は望み続けている。そのためにも私は今もなお腰を下ろさず何時間も立ち続ける。
“やろう”と思って出来ないことは人生にはない。出来ないのは“やろう”と思う心が足りないだけなのだ。
男声合唱の醍醐味は分厚いハーモニーもあるし、怒濤のように流れる骨太さも、またビロードのような柔らかさも出せるし、神秘な静寂さも、ゴムまりのような弾むリズムもOK。表現の多様性はひょっとしたら女声や混声も叶わないかも知れない。ただ音域のことを言えば、普通は混声に負けるけれど、でも男声にはうまくいけば倍音を響かせることもできます。
ワグネルが何時も取り上げる音楽はおおよそ黒人霊歌とは対岸にあるものが多い傾向にあります。だから黒人霊歌をするとき、私に悪戦苦闘、のたうち回ることをワグネルは強いるのです。でも黒人霊歌くらい男声合唱をしているレパートリーもそうざらにあるものではありません。だからその面白さを十分楽しめるようにと、今回は編曲のあまり難しくないものを考えて選びました。
メンバーが雰囲気を感じてくれるか、聞いて下さるお客さんも一緒になって愉快になってくれるか。私も張り切って練習に立ち向かうことにしましょう。
いつの間にか、定演がやってきました。
もう何十年もワグネルのヴォイストレーナーとして、みんなと発声の勉強を共にしていますが、毎年メンバーの数が変り、今年の六連、東西四連は少ないワグネルで演奏しました。しかし、定演では四月に入って来た一年生も加わり、少しは、ほっとした思いです。
私の立場上、やはり安定した声の厚さを願っています。一年生もよく頑張り、努力を重ねて、ドイツ語、フランス語等、今まであまり歌わなかった曲をみんなで歌うわけです。考えてみれば、短い時間で練習し、いくつかの曲を歌い上げることは、学生の身として大変なことなのです。その多難な仕事をやってのける若ものたちの心は、立派であり、貴いものだと私は思います。どうか今後も、この大きな力を持ち続けていってほしいと願って止みません。
第125回定期演奏会おめでとうございます。今年は早慶交歓演奏会、東西四大学合唱演奏会とワグネルの皆様と御一緒させていただきましたが、5月の最初の練習にうかがった時、私はアーンの歌曲集を弾きに来たはずなのに???
一瞬呆然としてしまい次の瞬間“これはまずい、畑中先生のカミナリが落ちるぞ”と思ったとたん!!! 私も皆と一緒に被害を受けてしまいました。
ところが、そのせいか練習を重ねるごと、畑中先生のT熱心な根気強いU指導とワグネルの皆様の感性のよさによって、またたくまにアーンの世界に行くことができたように思えました。
私は時々、音楽をやっていて本当によかったと心から思える瞬間があるのですが、今回は久々に感じることができました。これも畑中先生の豊かな音楽で私たちをステキな世界へ誘ってくれる不思議な棒と真摯な態度で音楽に取りくんでいるワグネルの皆様のおかげだと感謝しております。
今宵のこの演奏会も皆様とともにすばらしい瞬間を共有できればと思っております。
| ご指導40周年記念思い出のメッセージ |
今年の三月、ワグネルの指導を頼まれた時、私は正直の所「これは困った事になった」と思った。私は今までいろんなコーラスの棒を振ってきたけれど、素人の合唱団を手がけた事はなかったからである。ワグネルの演奏は二、三度聴いた事はあったが、やがてそれが我が身に降りかかってこようとは思わなかったから、ぼんやり聴いていた。はじめはヴォイストレーニングだけという約束だったので引き受けたのだったが、とうとう棒振りもやらされることになってしまった。初めの練習は、私も不安だった。果して、私の感じている「声」を「音楽」を感じとって貰えるのだろうか―――
最初の五分が過ぎ、十分が過ぎた。
私の不安は去った。そして音楽への限りない希望が私の心の中にあふれて来はじめた。これほどワグネルの皆が“音楽”に対して敏感であろうとは予想もしなかった事だった。勿論、声の使い方のテクニック、―――声のフォーム。ポジションの確立。音色の変化。そういった技術の問題はすぐに片付きはしない。これは長い間のお互いの忍耐が必要だ。それは教える者と教えられる者との協同作業だ。決して焦っては正確なテクニックは得られない。
真実を極めること―――声の正しいあり方を見極めて、その上で豊かな音楽の実を一人一人が育てて欲しい。
ハーモニーの美しさにふれた人は、その激しい生命の歓びがこの一瞬に燃焼することを知るだろう。そしてワグネルの連中は、この歓びを充分に味わうだけの素質があるように思われる。私はそれを最大限に引き出してみたいと思う。
音楽する心――それが一人一人の心の中に輝き渡り、一生のうちでワグネルで歌っていた時が一番純粋だったと思えるように「音楽」をいうものの中に諸君を強引に引張り込みたい。
また君達にはそれが出来るはずなのだから。
1960年 部内広報誌「HERZ」創刊号より
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美しい本栖湖での合宿、私は初めてワグネル男声合唱団の中に入って、若ものの力強い歌声を聞き、朝早くから夜までの練習のあの思い出は、忘れることの出来ない、遠い昔のことのような、時にはほんの少し前の思い出のような気がします。今はまったく忘れてしまいましたが、大学の合宿と言うものを知らなかった私は、正直云って食事と朝早く起きての体操から始まっての一日中の練習には大変驚き、苦しみと云うものではありませんでした。しかし、私も負けん気の強い方ですから、外には出さずに頑張りました。あの時の悲愴な思いは今となっては、ゴマ粒程度も覚えていませんが、全員でのアンサンブルの美しさ、力強さが今でも耳に残っているような気がしてなりません。いまさらこんなことを云うのもどうかと思いますが、人間というものは、一つの大きな、高いものを作る為の数々の苦しみは、時がたつと全く忘れて、その時に味わった歓びと感激が美しく心に残るものだと思いました。
あの夏の合宿では、12月の定期の為の練習で、トスティの曲でした。イタリー語の発音で、あの頃は此頃のように、カンツォーネなど、身近にイタリー語が聞えて来ない時でしたし、大学合唱もイタリー語での演奏はあまりなかった様に思います。その発音も合宿中に全員がよく覚えてくれて、とても好調でほっとした事をいまだにおぼえています。あの合宿で1人1人の発声のレッスンをし、発声で一番大切な、呼吸法の徹底ということを頭に入れ、同時に、母音のレガート唱法とスタッカートの練習をやりました。 全員で歌う時にはとてもよく声が出ている様に聞えましたが、さて1人のレッスンの時の声となると、弱々しい声の人が大分あった様に思います。ベースパートの声は、とても自然に体の響きがついている人もありますが、全パート共に鼻腔共鳴の集め方が分らないで、ただエネルギーだけで声を出している連中が多く思ったものです。全員のアンサンブルの時のあのボリュームを聞いて1人1人の声が不思議に思えたものですが、その1人1人を正しいフォームに持っていったならワグネルの合唱はどんなに素晴らしいものになるだろうかと、内心楽しみに思って、先づ、個人の発声の積重ねに力を入れてやった様に思います。それは全く現在と変らない方法ではありますが、その頃のワグネルにはどうしても必要なことであり、またあの頃にはその発声を自覚し、マスターしてくれた先輩があったからこそ、次から次へと受けついで、ワグネルトーンが一つの安定したものになってきたとも云えるのです。あの頃のワグネル、特に上級生の恐しいまでの熱意は、何か私のもっている音楽の何ものかを全部吸い取られる様な気がしたものでした。1966年「慶應義塾ワグネル・ソサィエティー65年誌」より抜粋
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