| 演奏者 |
| 第119回定期演奏会 |
| 8日 | (木) | 東京文化会館大ホール |
| 18日 | (土) | 東京厚生年金会館大ホール |
| 演奏曲目 | 試聴可 | ![]() ▼Click&Listen | 音源を聴くには のインストールが必要です。 |
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| PROGRAM |

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第2ステージ

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第3ステージ

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第4ステージ

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第5ステージ

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アンコール&ステージストーム

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| 先生の言葉 |
「ファウストの劫罰」男声合唱版組曲は、私とワグネルのために書いてくれた福永陽一郎君の、恐らく最後の編曲作品である。
初演時は、東京、名古屋、大阪の三カ所公演があり、大阪のシンフォニーホールでの時は、終わった時、激しい喚声の中、暗い客席の中央で立ち上がって、一際力強い拍手を送ってくれる姿が、ステージ上の私の目に入った。福永陽一郎君だった。この超難曲の初演をスタンディング・オベイションで迎えてくれたのである。
楽譜をのぞいた方なら、この複雑極まる合唱の音符の際限もない羅列に目を回されるであろう。途中8部に分かれ、その各パートがさらに分割され、音符も32分音符かつ馴れぬフランス語で極めて早く発音されねばならない。
入団間もない新入生は、歌ったことも、読んだこともないフランス語の上に、膨大な量の頁数を前に茫然とするばかりで、弱気な者は、はや逃げ腰になる。これだけの量を短期間に暗譜できるのだろうか、と私も不安になる。しかしワグネルの伝統の力は強い。8月の例年の合宿は、今年は私がドイツの方にいたために特別に9月に足かけ4日間の臨時合宿を行うことになった。朝10時から夜9時ますぎまで私も座ることなく棒を振り続ける。まさに精神力比べだ。合宿の終わる頃、はや暗譜の見通しがつき、曲の姿が掴めてきて、不安が薄らいでいく。
初演の時、もう二度とこの曲をやるのはゴメンだ、体がもたない、と思ったものだが、もう一度なんとかできるかもしれない、と思うようになった。今のうち、体力のあるうちにこの猛烈な曲の体験をして貰いたいと思ったのである。この難曲を歌いぬいた者は、この半年で強くなったことと思う。少々の苦しいことは難なく乗り越えられる筈である。
今宵、力を合わせてベルリオーズに挑戦する。まさに“死力を尽くして”である。そのあとは、多分、“もうやりたくない!”だろう。
私の最初の《マーラー体験》は昭和十五年、十八歳。東京音楽学校入学直後である。友人が「大地の歌」のレコードを入学祝いに貰ったというので、同級の中田喜直君らと彼の家に押しかけたのである。モーツァルトとベートーヴェン体験しかなかった私にとって、羽ルターのこのマーラーは何という衝撃だったろう。
果てしない暗黒の宇宙に、たった一人放り出されたような不安とおののきの中に、繰り返される李太白の詩。Dunkel ist das Leben, ist der Tod(生は暗く、死もまた暗い)の三度目の個所に来た時、不覚にも私の頬に涙がしたたった。この世にこんな音楽が存在していたとは! この日のことを私は一生忘れることはないだろう。音楽が人生を変えるというと、如何にも大げさな云い方にきこえようが、私の最初のマーラー体験は、確かに私の人生を変えたのだ。
今日の「さすらう若人の歌」で人生が変わるだろうか? Nein, nein. 私の未熟な棒ではとてもそうはいくまいが。(第18回早慶交歓演奏会プログラムより転載)
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先日の朝日新聞に、確か一千万年光年の遥か彼方、新銀河の写真が載っていました。宇宙の広大さ、宇宙の空間、そして時間からすれば、人間の営みはほんの一瞬の出来事であるかも知れません。ブラームスの「四つの厳粛な歌」を、ふと思い出してしまいました。現在54億ともいわれる人々が、この地球上に存在し、さまざまな文化の中で生活しているのを考える時、また、過去の世界を考える時、生きている喜びを感じるのは私一人でしょうか?
洋楽が日本に上陸して100年以上経ちました。そして、他の西洋文化と同じように、日本に馴染み、浸透してきました。でもどうしても、どこかしっくりしない、どこか着せられた他人の洋服のような気持ちが、心のどこかに存在していて、之は難だろう。と考えました。もちろん私は、小学校4年より、岐阜のNHK児童合唱団に、両親に内緒で入団したぐらいの、大の音楽好きですから、洋楽を批判的に見ているわけではないのです。そこで、出会ったのが比較文化的な考え方でした。それは、それぞれの国の文化を尊重しつつ、その違いを素直に見つめていこうとするものでした。この視点でみると、私達日本人の持っている基質、慣習、ものの考え方、言語、表現方法等々、とても興味深く考えさせられました。そして、その「違い」を「違いの中で」素直に表出できれば、妙な居心地の悪さを感じなくなるかもしれないと、思いつつ練習に励んでまいりました。
人間の心は、他の臓器と同じように、根本的には、共通のものを持ち合わせている。という大前提の上ですが……。
今年の春の六連で、“北村協一先生”編曲の「イタリア古典歌曲集」を、エレクトーンの伴奏で指揮させていただきました。今宵は、そのプロと、以前出演させていただいたことのある、恩師畑中良輔先生の指揮での「ファウストの劫罰」のバリトンソロをさせていただきます。頑張ります。
ワグネルの定期演奏会で振りのあるステージを組むのも、もう結構な回数になります。このところ合唱のコンサートでは振り付けのステージはもう珍しくありませんが、私が初めて関学でやったのは20年以上も前のお話で、まだどの団体でもやっていなかったのですが、それは大中恩さんの「おとこはおとこ」が最初でした。その後日本もミュージカルが盛んになり合唱の世界も振り付けのステージがコンサートの中に必ずと言っていいほど取り入れられるようになり、中にはプロ顔負けのステージもあるようです。
わたしが振り付けのステージを組み入れたそもそもの意図は、音楽に乗って体を動かすことにより、学生の心の中で、その音楽に広がりを持たせる事が出来ればと思ったわけでダンサーの踊りを求めたわけではないのです。ミュージカルのスクリーンを狙ったわけでもないのです。「音楽を損なわない」之が先ず第一に考えられなければと今でも思っています。それはコンサートがアマチュアである学生の、しかも合唱を聞かせる音楽会だからです。勿論、学芸会でいいとは思っていません。十分鑑賞に堪えられ。団員の「皆」が出来、彼等も楽しみお客さんにも楽しんでもらえるステージを作ろうと何時も考えています。
この所縁あって若手の優秀なダンサーであり、振り付け師でもある「川原あけ未さん」と組んでやって居ます。以前は振り付けも照明も衣装も、全部自分で考えてやってましたが、今は大助かり。実は私も楽しんでやっている、というのが現状です。
猛暑続きの夏もやっと終り、少し遅めの秋となり、初冬がやって来ました。毎年色々の変化はありますが、自然はいつも変りなく美しい色を見せてくれます。しかし街の中は益々騒音に満ち溢れています。
例えば、電車の駅の、あの発車毎に鳴り響く騒々しい音楽(?)。駆け込み乗車をいかにもあおりたてている様で呆れ果てます。スピーカーは不必要な言葉を繰り返し叫び続け、不思議な騒音の世界に他ありません。すべてその様な暴音に麻痺しきっている日本人はどうなっているのでしょうか。たまに静かな田舎の駅を旅する時など、その閑かな無音の世界を本当に心に感じます。
何とかして、我々音楽を愛する人達によって、少しでも悪い音を無くしていきたいものです。
すべての雑音から逃れて、今宵ワグネルの歌をお聞き下さる皆々様、どうぞこの美しいひとときをお楽しみ下さいます様に。
この若者達が、今後も美しい音楽を、この世の中に歌い続けていってくれることを願ってやみません。
はやいもので、私が慶應義塾ワグネル・ソサィエティーの定期演奏会に出演させていただくのは、今回で4回目になりました。
その1回ごとに、団員の皆さんや、スタッフの方々、それに学生指揮者の諸氏の、曲に対する真剣さと情熱に、心動かされる思いをいたしてまいりました。
でるから、当然のことながら、毎回皆さんの気持ちに引き込まれるように楽しくひかせていただいております。
今回の「青いメッセージ」では学生諸氏に多くの期待をしつつ、若いエネルギーに負けないよう、楽しくのぞみたいと思っております。
本日は第119回の定期演奏会おめでとうございます。ワグネル・ソサィエティーの皆様とは、今年5月の東京六大学合唱連盟定期演奏会の際にご一緒させていただきました。はじめに畑中良輔先生にお話をいただき、イタリア古典歌曲集を演奏されるということで、先生にエレクトーンを使うにあたり、一曲一曲の音色に対する構想をおうかがいし、私もすんなり編曲することができました。その後、北村協一先生に実際に聴いていただいて、アドバイスを頂き、本日お聴かせする伴奏が出来上がりました。その作品をはじめて合唱とアンサンブルにした際、楽器のアンサンブルとは一味も二味も異なった崇高なひびきを耳元にしながら演奏できることに感動をおぼえました。そして、さすが“慶應”と思いました。また西義一先生の音楽のつくり方に、より古典らしさを感じ、今回伴奏をさせて頂いて本当によかったと思いました。これからも、この素晴らしいハーモニーを伝統的に守っていって下さい。ワグネル・ソサィエティーの益々のご発展をお祈り申し上げます。
私は大学時代、ワグネリアンとしてとても充実した4年間を過ごすことができました。その後もソリストとして、畑中先生の「マイスターシンガー」、木下先生の「シューベルト合唱曲集」等で共演させていただき、ワグネルとのつながりは大変深いものがあります。
そして今回、「ファウスト」を歌うことになり、志のぶ幼稚園での最初の練習に伺った時、以前と変わらぬ重厚なワグネルトーンと再会したのです。いつも畑中先生が言われる『高い音楽への理想の姿勢』をワグネリアンが今もなお、保ち続けていることに感動し、嬉しく思いました。
その後、現役の諸君達はそのありったけの若いエネルギーで、ベルリオーズのこの難曲に取り組んできたのです。
さあ今こそ、その力をこのステージに結晶させましょう。聴いて下さる皆様の心に響くよう、畑中先生の“魔法の棒”の下に……。
「右手は伸ばして左手は腰の所。左脚はつま先を外に向けて、ひざは少し曲げる。右脚は1拍遅れで前に出し、視線は斜め上。顎は上げないで、目はしっかり見開く。」などというややこしい注文に、驚きの声と溜息、何のことだかまるでわからんというような呻き声で毎回練習が始まります。その上「ワン、ツー、スリーフォー、ワン、ツー、スリーフォー」という聞き馴れない教え方で踊りが進行すると、ワグネリアン達は外国で迷子になった日本人旅行団体のようになってしまいます。さらに北村先生の厳しい歌唱指導が同時に進行した時には、もうちょっとパニック状態の出来上がりです。という訳で振り付ける側も、振り付けられる側も、青くなったり赤くなったりを繰り返すのですが、ビデオ撮影をしたり、振付けを図解入りで譜面に書き込んだり、パートリーダーを中心に体育会以上に厳しい特訓をしたりと、さまざまな工夫をして、本番は見違える程、堂々とチャーミングに舞台を勤めてくれます。「南太平洋」でもその成果を、お客さまに堪能していただければと思います。
| 作詩・作曲・編曲者より |
定期演奏会の御開催おめでとうございます。そして私の作品〈青いメッセージ〉を取り上げていただき、ありがとうございます。
この曲は、1984年に早稲田大学グリークラブの委嘱で作曲し、故山田一雄先生の指揮、故ピュイグ・ロジェ先生のピアノで早慶交歓演奏会において初演されました。それから丁度10年後に、今度は貴団に歌っていただける事になり、とても嬉しく存じております。
作品は6曲からなり、ア・カペラの〈秋の夜の会話〉を含む前半の5曲は死をテーマとしています。〈サリム自傅〉では、反戦を歌い、最後の〈ごびらっふの獨白〉は誕生あるいは生命の賛歌となっています。
この曲を作曲して以来、今もなお自分自身を励まし続けている数行があります。その一つは“婆さん蛙ミミミ”が歌う〈地球さま。 ありがとう御座いました。〉であり、もう一つは“ごびらっふ”の歌う〈素直なこと。 夢を見ること〉です。
久しぶりにこの曲の楽譜を開いてみて、この10年のいろいろな出来事を思い出します。そしてそれらが、走馬灯のように目の前を走り抜けていくようです。多分暗譜して下さっているワグネルの皆様も、これから出会う様々な困難に是非、〈ばらあら あらあ〉果敢にと立ち向かっていかれることを願っております。
最後になりましたが、コンサートの御成功を心からお祈り申し上げます。