畑中先生・大久保先生 御指導30周年記念
'90・11・5(月) 新宿・維新號
聞き手 近藤泰輔 兼氏隆太 池田頼昭 宮嶋邦行 |
|
私達、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団は、畑中大久保両先生に御指導戴くようになり今年で30周年を迎えました。それを記念しまして両先生にいろいろとお話を伺いました。(以下敬称略)
|
| 司会 | 本日はたいへんお忙しい中、時間を割いていただきましてありがとうございます。今年で30周年ということですがいかがなものでしょうか? |
| 畑中 | 別に30年間やったからどうということではなく毎年同じようにやっています。僕は皆が合唱を通じて世界の音楽にアプローチできるようにやっているし、またただ歌うだけでなくワグネルライフが一生の心の宝になるようにやってきたから、うまくいければそれでいいとか、何かのスペシャリストでなければいけないといったことはしなかったつもりです。日本の音楽はもちろん世界のあらゆる音楽に皆が心が開けるような諸事を養っておいてあげたいなと常々思っています。僕のこういった姿勢はワグネルの今までのプログラムを見ればわかるでしょう。ただこのところイタリア物をやっていないけど、ダグ先生(大久保先生)いつだったかね? |
| 大久保 | どうですかね。ただ最初の本栖湖の合宿っていったらそれこそ30年前じゃないの? |
| 司会 | なんですかそれは? |
| 畑中 | 初めて合宿にいったときなんですよ。ちゃんと朝6時15分に起きてですね、6時30分に体操をしまして…。皆さんといっしょにランニングしたりあのころは若かったですね。随分の間学生と一緒に寝食を共にやったね。今みたいに一泊や二泊じゃなくてね。 |
| 大久保 | そうでしたね。僕なんかは合宿に出るようになって三年目ぐらいでしたかね…。朝学生二、三人に混じって遅刻してしまい学生に「コラーッ」てどなられたことがあるんですよ。あのときは若かったから学生と間違えられて…。あとで学生が謝りに来ましたけどね。 |
| 司会 | ところで畑中先生がワグネルをお振りになったきっかけはどのようなものだったのですか。 |
| 畑中 | 僕はそれまでアマチュアの学生の合唱を振ったことがなかったんだけど、僕の近所に住んでいた淀野君が毎晩のように家へおしかけてきて、ついに引きうけることになったわけですよ。初めて恐る恐る行ってそのときにバッハのコラールが基本だということで北村協一君に男声合唱用に編曲してもらって課題に出してやらせたら…ひどい素人声で僕が思ってる音楽とは随分かけ離れていてね。そこで曲をやるより発声を、と思って発声の理論と実践の講議をして声を出させたらバカーンと変わってびっくりしましたよ。それでこれは発声がいかに大事かということで一人でやるのはたいへんだから大久保君にお願いしたんですよ。あのころ最初の東京六連で日本民謡をやったんだけど最上川舟唄の出だしの「えんやー」という一声がでるのにどれだけかかったことか……。今は何気なく出してますけど。それだけテクニックが上達したということですかね。 |
| 司会 | テクニックという話が出ましたけど今の学生と昔の学生を比べてみてはどうですか。 |
| 畑中 | 今の学生は子供っぽいね。…というより何か幼いような気がする。でも僕も今の年令で考えるからそう思うのかもね。音楽的なテクニックや感受性は今のほうが豊かかな。昔できなかったような曲もできるようになったしね。Merry Widowをやったときなんかは出だしの10数小節を数えたら300回以上やったのよね。あのときはどうしてもそこだけがウィーンの音楽にならなかった。自分との戦いだと思っていたけどあれでだいぶ強くなったと思う。でも2回目にMerry Widowをやったときはそれほど苦労した憶えがない。それだけレベルが上がったのか、それとも伝統なのか…。パトリも今年なんか、頑張っているし、随分楽になったかな? |
| 大久保 | そうですね。僕もワグネルとつき合いはじめて3、4年したら安定してきて随分楽をさせてもらうようになりましたよ。4月は1年生が入ってきて大変ですけど、3、4年が安定してきて畑中先生のMethodが浸透してくると、1、2年も自然とワグネルトーンに混ざっていってくれますよね。 |
| 司会 | いつも選曲などはどのように考えておいでですか。 |
| 畑中 | だいたい3、4年を主体に考えていますね。喜びのある音楽をしたいと思っているし、多少背のびをしなきゃ伸びていかないんだけど無理はしていないつもりです。今年は僕は、たまたまトップが気にいってる年なので、ちょっと難しいとは思ったけどHやGがしょっちゅうでてくる曲を選んでみたら…。やれるだろうと思ったら案の定うまくいってますね。東西四連でのシュトラウスもまずまずでしょう。でも演奏というのは本当に不思議なもので、いくら実力があってできるとおもっても、何かそこにミューズの神が乗り移ってこなかったときには、いくら焦っても頑張ってもやれるはずのことができないね。 |
| 司会 | いつも私達が不思議に思うことなのですが畑中先生は同じ曲を演奏なさっても毎回表現付けが違うんですけど…。 |
| 畑中 | そりゃ30年前の僕と今の僕とは違う。10年、20年、30年という月日が僕の上にあるとすれば、その中で僕自身も勉強していくし、より深く感じ、それをどのように皆に受け渡すかということは変わらなきゃおかしいでしょ。でも音楽に対する根本的なものは変わらなかったね。 |
| 司会 | 大久保先生はいかがでしたか? |
| 大久保 | 僕はいつもそばにいて、本番直前までは一緒に勉強しているけれど、同じ曲を畑中先生が選曲されても不思議と、味わい、香り、が違いますね。変わり方の魅力は前より曲として豊かになって深くなっていることじゃないですかね。本番は一聴衆として、何年か振りに同じ曲をやってもその時には新しい魅力を期待しています。でも私みたいにこんなに毎回いるお客さんというのもいないでしょう。 |
| 畑中 | そうでしょうね。僕も六連と四連は皆出席ではないですけど、定期演奏会を30年間振り続けたことは誇りでもあるし、ワグネルが誇ってもいいことだと思うけど…。 |
| 大久保 | でも僕は1度だけ名古屋の演奏会に何かの都合で聴きにいけなかったことがあったんですけど、その時に木下先生が「大久保君が来てなくて残念だ」とおっしゃって非常に感激しましたね。あの木下先生が僕のことを気にして下さるなんて…。 |
| 司会 | 木下先生とは、どのような方だったのですか? |
| 畑中 | 木下先生というのは、やはり明治の方らしくて、音楽の中に精神主義というのを求められてそのバックボーンをワグネルにしっかりとたたき込んだ方ですね。やっぱり今のワグネルのドイツ音楽の骨格は木下先生が築き上げられたんでしょう。そこで僕は木下先生がなさらないような、脇からそれをほぐしていくような選曲と指揮をやってきたわけ。そういったことが今のワグネルにはあるんじゃないかな? |
| 司会 | ところで私達は平常からブルですとかダグですとかいった先生方のあだ名の由来に大変興味があるんですけど…。 |
| 畑中 | ダグ先生はね、戦後間もなく朝日新聞にいわゆるアメリカ文化が新鮮な形で入ってきたわけ。その中で漫画がなかった時代にブロンディーっていういわゆるサラリーマンの一般的な家庭を描く、アメリカ的善意にあふれた漫画が日本に入ってきたわけ。非常に新鮮な感じをもたらした大作で、その主人公のダグウッドっていうブロンディーのだんなさんなんだけど、ダグ先生の髪の形にそっくりだったのね。それでダグ先生って言われるようになったわけ。一部の人はダッグスフンドを飼っているからダグってなったと思っているみたいだけど…。 |
| 大久保 | そう、それは誤解ですよ。僕みたいなスマートで足の長い人にね。ブロンディーはちょうどサザエさんみたいなものね。さて先生のブルというのはどうでしたっけ? |
| 畑中 | 僕はブルドッグから来てるのよ。顔がどうというより、小学校の頃からブルドッグと言われてて、力がないくせにけんかが早くて絶対に負けん気が強いから勝たないと気がすまないわけ。何がなんでもかみついたら最後…。ブルドッグっていうのは平常はおとなしいけど…。そういったことからいつのまにかブルドッグって言われているのです。 |
| 司会 | それで先生の恐いイメージがあるのでしょうか? |
| 畑中 | でもワグネルに対しては僕は寛容ですよ。芸大生は二度間違えたら譜面を投げつけて外に出させていたけどワグネルはアマチュアだからそんなことはなく忍耐強く教えたよ。 |
| 司会 | でも私は1年のとき「月光とピエロ」で先生の“ボヤスケ”というのを聞いたのですが、あのときはびっくりしました。ここは体育会かと思いました。 |
| 畑中 | 何? 皆こりゃえらいところに入ってきたと思ったの…。でも今やってきてよかったと思うでしょう。 |
| 大久保 | そりゃ僕もたまにキツイことを言うけど…。演奏会していてあれだけの聴衆から拍手をもらうと言うのは何にも代え難いものよ。皆いい顔してますよ。 |
| 司会 | 皆歌っているときはどのような顔をしているのですか。 |
| 畑中 | どんな顔って? そりゃ皆必死で食いつきそうな顔しているのよ。1年は1年なりに言われたことを実現しようと精一杯ね。 |
| 司会 | 先生が私達に望んでいらっしゃることは、どういったことですか。 |
| 畑中 | ここまで僕と大久保君のMethodによって声と音楽ができあがって一つのワグネルの伝統というものは一応の形になったと思うんだけど、この中身をさらに充実させて欲しいと思います。ここではやはり伝統の力が大きいね。4年間しかできないけど、何かを感じるよ。あとに残る人がそれを引き継いでさらにふくらませて欲しいですね。 |
| 司会 | 大久保先生はどうですか? |
| 大久保 | 私の立場からしますと、メンバーはやはり大学生だから人数の増減はあるだろうけれども、そのこと以前に一人一人が音楽をして欲しい。歌うための正しい発声法を身につけて、わずかでもいいから自分のレベルをあげて欲しいということです。そしてメンバーが多くなろうと少なくなろうと畑中先生や木下先生がお作りになった伝統を守っていって、また私も及ばずながらいろいろさせてもらっているけどそれらがもっともっと役立っていってくれればと思います。 |
| 司会 | 畑中先生は今の4年生についてどう思われますか? |
| 畑中 | うん、何かこの学年はとっても僕と気が合うんじゃないかな。とっても気持のいい4年間を過ごさせてもらったと思っています。今年はパトリがシュトラウスなどで大変だったと思う。充分なよい練習会場ではないでしょう。ピアノが無かったり、音をとったりするのでも…。ほんとうにありがとうと個人的に労ってあげたい気持ちで一杯です。でもあいにく暇がなくて…それでおでん大会をしようと言っているんだけどね。ほんとうに口では言えない苦労があったと思う。けどそれを消化して欲しいと思う。ここで気を緩めないで頂上まで登らなきゃね。皆も悔いのない演奏をしたいね。あらいつの間にこんな時間に…。帰って原稿書かなきゃ。 |
| 司会 | あっ、先生どうもありがとうございました。 |
| こうして30周年記念対談は無事終わりました。今日もこの演奏会で私達は全力で畑中先生にぶつかっていきたいと思います。また会場のどこかで聞いてらっしゃる大久保先生を感動させたいと思っております。どうか今後共ワグネルをよろしくお願い致します。来年の正月には皆必ずおでんの具を持って先生のお宅へ伺いますので…。 |