畑中良輔、大久保昭男両先生御指導25周年記念
夢の“BIG対談”
'85・10・21(月) 都ホテル
インタビュアー:中野伸朗、香川孝之、岡本直樹、永井聖士 |
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インタビューに先立ちまして、両先生より、現役団員、OBに対して、去る6月29日に行われました謝恩会の御礼の言葉がございました。
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| 司会 | まず最初に25年前のワグネル就任時の思い出、先生方が男声合唱界にとびこまれたきっかけ等をお聞かせ下さい。 |
| 畑中 | 男声合唱に飛び込んだのは、直接にと言ったら、福永陽一郎君が非常に熱をあげていたもので、無理矢理引っ張り込まれたというのかなぁ。とにかく六連ができたころだよ。初回の音楽会が中央大の講堂であったんですよ。わけわからなく連れ込まれて、あまりの人ごみにびっくりして逃げ出したんだ。陽ちゃん(福永先生)が六連、六連とさわいでいたんだけども、六連というのが何のことなのかもわからなかったのね。だけど仕事場で陽ちゃんと会って職業合唱団をつくりたいというんで、日本で最初のプロ合唱団として東京コラリアーズを作って、全国を回り出したのが始めですね。その時はダクさん(大久保先生)は、よく“トラ”でお願いしたんだけど、学生だったの? |
| 大久保 | もう違いましたね。 |
| 畑中 | ワグネルとはどっちが早いの? |
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| 司会 | 今年で六連が34回になりますから。 |
| 畑中 | そうしたら六連の方が昔ですね。それでそのうちに北村の協ちゃんに「慶応が先生のところに行くみたいですから覚悟しといて下さい」と言われて……。すると田中(36卒)と淀野(36卒)がやって来て、始めはヴォイストレーニングを、という話だったんだけど、アマチュアって教えたことないもんで困惑して「とにかく行ってみます」と言うことで、初め「嫌だ」って言ってたんですが淀野の家が僕の家から目と鼻の先だったもので彼が1週間ぐらい毎晩来て、それでついに根負けしてやり出した、というのが始めですねぇ。やりだしたのはいいんだけど、ヴォイトレだけじゃなくて、曲を振れということになって、そうなると曲もヴォイトレも全部やるには時間的に無理なので、僕のやり方をわかってくれている大久保君に「来てくれたら助かるんだけど…」って聞いたら「じゃ、行きましょう」ということで、大久保先生がおいでになりました(笑)。 |
| 大久保 | 初めてワグネルに行ったのは、夏合宿からなんだけど、僕はそれまでタオルとか持っていかなくてもいいホテルに泊まっていたから、これは大変なことになったなと思って…。 |
| 畑中 | 枕かかえて行ったなぁ。 |
| 大久保 | 自分愛用のやつをね(笑)。畑中先生からお話があったんだけど、余り自信がなかったっていうか、引っ込み思案だったんですね。 |
| 畑中 | 初めちょっと渋ったのね。 |
| 大久保 | そうなんです。初めての世界でしたからね。でもひきうけたからにはできるだけということで、初め畑中先生の発声法のメソッドでスタートしたわけね。僕はそのとき、横にいて畑中先生のアシスタントのようにいろいろさせて戴いて……………そのとき初めて先生の棒でトスティを歌ったんでしたね。 |
| 畑中 | そのときからだったの? |
| 大久保 | トスティの歌曲集を協ちゃんの編曲でして、
その頃のワグネルはドイツ語もなにも、イタリー語さえもあやしかったので、それを指導したのを覚えてますね。 |
| 司会 | ワグネリアンに初めて接した時の先生方のご感想をお聞かせ下さい。 |
| 畑中 | 非常に、音楽に対する情熱とかひたむきに歌いたいという気持を持っているので、やっているうちに専門家にない純粋なもの、何て言ったらいいのかなぁ、無償なものを感じたのよねぇ。音楽っていうのは、歌った瞬間に消えるものだし、消えるものに熱中しているというのは、くだらないことに思えるかも知れない。だけど、消えるからいいんだよね。ヘッセの小説“クヌルプ”に「花火はなぜ美しいかっていったら、瞬間に消えるから美しい」っていうとこがあるのね。やっぱり、音楽っていうのは、たった一回の行為の中に全てが消えてしまう、消えることによって永遠性が出てくるわけね。そういう無償の行為に対して、本当に打ち込んでいる青年たちの気持ちっていうのが、話してるうち、練習してるうちにわかって来たし、僕もそれを倍にして返してあげたいと思うようになったし、とにかく教えることによって、僕も純粋な学び方ができたし、みんなも僕から何か採れるものがあれば、採っていくだろうし、結局そういうひたむきさが今までワグネルを25年間やってこれた、お互いの原動力じゃないかと思うけど。歌っているときは、うそがないもの、お互いにね。かけひきも何もないから、一番純粋になっているだろうと思いますよ。 |
| 司会 | 大久保先生いかがですか? |
| 大久保 | 専門家や芸大生のようにすごい競争のある所にいるせいか、全然関係のない人達がただ好きで一生懸命声を合わせて歌うという純粋さがものすごく魅力ね。僕はチビで自分で声を持っていないものだから、どうやってしたら声が出るのかっていう苦労を人一倍知っているわけね。だから自分が覚えて来たことをアマチュアの人達に最短距離で教えることができるっていうのがわかってきたんだけど、どんな人の声でも、自分がそうだったものだから、この方法でやって行けばある程度の方向が出ると思う自信があったの。だから、4月に入って来た新入生が、定演の頃になるとだんだん上級生の声に近づいているというのが、ひとつの楽しみになったのね。そういう人たちが木下・畑中先生の立派なステージをもたれたときに、自分が思っている以上の音楽の声が聞こえてくることが何よりも感激……。 |
| 畑中 | 涙が出そうになる? |
| 大久保 | そういう時もあるし、ある時はかわいさ余った憎さで、のたうちまわってしまいそうになる。大学の合唱ってのは4年たって、せっかくいい方向に発声が来たときに出ちゃうでしょ、でまた1年が入ってきて、また乱れるわけね。それをまた埋めていくってことは大変だけど、僕は運命だと思っているの。 |
| 司会 | ワグネルの音楽っていうものについて、いわゆる、ワグネルトーンとか、ドイツ音楽・ロマン派が主流とかいわれてますが、その辺についてお答え下さい。また、ワグネルはアマチュア合唱界の中でどのような位置にあるとお考えですか。 |
| 大久保 | それはやはり畑中先生の音楽の作り方が永年に渡ってワグネルに染み渡って、4年ごとに上級生は出ていくものの、音楽の魂は受け継いでいるからね。だから、音楽っていうのはやはり、指揮者のレベルが高いほどいいんだろうね。それをまとめられる指揮者によって音楽は作られるから。そういうことでワグネルの音楽っていうのは、畑中先生とワグネルが組むことによって、他にまねのできないすばらしいものになることがあるのね。 |
| 畑中 | 音楽によって心を耕すっていうのかな、人間としての感情のキャパシティを最大に広げることが僕の考えであり、最終的には本番よりも練習の方が大事だってことね。大学合唱では耕しているときが大事なのね。合唱を通じて世界の音楽への心を開いて欲しい! 耳も心も一つの方向だけで固まってしまうのではなくて、常に耕している。だからできる限り世界の音楽、もちろん日本の作品もやりながら、ワグネルはドイツ音楽を主流としているけれども、できる限り世界の音楽へアプローチしながら柔軟な感受性を身に付けて、一生の宝となるような感受性を養って欲しいと思っている。ただ、音楽だけやっているんじゃなくて人間形成っていうのかなあ、人間としての成長というものにまで引っぱり上げるということ。だから、音楽はやっぱり哲学だと思っている。決してエンターテイメントだけじゃなく哲学だと思っているわけ。一つの物のスペシャリストにはしたくない。ドイツ音楽以外はできないんじゃなくて、現在フランスものもやってるし、それだけ苦しみは多いけど、それだけの心が世界に向って開かれるんだから、それをワグネルの特色にしたいなあと思っている。委嘱作品ていうのは、みんなやってるんだけれども、未知のものでしょ。幸い、今までへんなものに行き当たらなかったからよかったものの、へんなものができたときに、それを何百回となく練習してるうちに、感性が摩滅しちゃって、ただもう、日常性の中で練習しなければならなくなったとき、僕も苦痛だしみんなも苦痛だと思うし、意味がないと思うんですね。だから、委嘱っていうのは極力避けてきた。そのかわり、世界の本当の名曲を何とか合唱を通してアプローチして、今度の「ファウストの劫罰」にしても、本物を聞いたときに理解度が深まって来ると思うのね。ワグネルトーンて確かに他とは違うのかも知れないけれど、誰がワグネルトーンてつけ出したか知らない。僕は自分でワグネルトーンなんて言ったこともないし、そんな一つのトーンで、縛られたくもないし、ワグネルトーンと言われると、何か後ろめたいのよね。何々しなきゃならないという考え方が好きじゃないし、一つの音楽に10人がアプローチすれば、10通りの音楽があるわけで、絶対というものはない。どんなやり方も認められるような人間におなりなさいと僕は言いたいわけ。ワグネルを通して。ただ欠点とすればワグネルトーンはひきずって重いわね。それは僕の棒のテクニックがいつもないんだろうと反省はしているんですけれども、リズムさばきが決してうまいとは思わないし、鈍重で、むかしは僕が棒を振るとみんな笑っていたもんね。だけど歌っている声は他の指揮者がやっているときと全然ちがう声がでてくるものでねというのが唯一のよりどころで、それだから、僕のたりないところを他の指揮者で補ってワグネルの人たちにいろんなもの、例えば皆川さんにミサとか、三林君にフランスものとか、僕のたりないところを補ってくれる指揮者が必ずいるはずだからやってもらっているわけ。全てを一人でカバーできる能力はないから、可能な限りいろんないい指揮者を頼んでそこからいいものを感じとってひとつ大きくなってほしいと思うね。 |
| 大久保 | 確かにワグネルトーンていうのは、ある一時期10年前ぐらいか、六連エールの時には、ずばぬけて声楽的な声で歌った時期があったの。そのころはワグネルがエールでひとこえ出して歌いだすと、本当に音楽を知っている人々は客席でざわめく声がたしかに聞こえたの。僕も嬉しかったし、やっぱりトレーニングの行き届いた声とそうでない声がこんなにも違うものかと残念だったわけ。しかしもう最近は各団ともレベルアップしてどの団も一定してきたから、ワグネルはモットモット……。 |
| 畑中 | 追いつかれないように。 |
| 大久保 | もっとやっぱり先端をきっていってほしいし……。 |
| 司会 | 次にこれからの日本のアマチュア合唱回の動向など活発に行われていますコンクールなどを中心にお話し下さい。 |
| 畑中 | おとついと昨日までは関東合唱連盟コンクール審査をいたしまして、僕がむかし何十年も前はじめて審査を始めた頃と比べて、格段とうまくなっているし、発声に対する注意が非常に行き届いている団体が多かった。ただ、そういう技術的条件はそろっているのに心がないっていうのかな。安らぎがないですね。音楽っていうのは人に憩いを与え安らぎを与えるものだと思うんだけれども、それを失っては合唱にもならないし、その点がちょっと寂しいですね。いまのアマチュア合唱界がおちいる危険は、人間の歌を心をうたいだせるような、技術をもう持っているんだから、そのひとつ上にいくようにしなければ……でもそれは指導者でしょうね。どこの合唱団でも兵隊は同じなんだから。 |
| 大久保 | けれどもその兵隊が、ある程度のレベルは持っていないとまずいと思う。その上にその指揮者の人の普段の教育が大切だと思う。団員はその指揮者の体温を感じながら、練習の時涙するような、そんな団体と指揮者の関係が理想でしょうね。けれどもそのアマチュア団体が努力して理想の団体であったとしても、コンクール審査員の方が、本当によく勉強されて、総合的な審査をするだけの資格のある人をアマチュアの方々も選んでいかないと。本当にわかっていない人がどこの世界にもいるのね。だから審査員の人選を注意しておこなわないと、そのコンクールに何の意味もなくなってしまうからね。 |
| 畑中 | コンクール委員会に言ってよ(笑)。 |
| 司会 | そういうコンクール至上主義ってものに対して四連などは創られたそうなんですが、その辺に関しては先生方はいかがですか? |
| 畑中 | 僕は慶應にコンクールに今まで出ろとも出ようとも言わないのは、やっぱり音楽は数で決まるものではないから嫌なんですね。それに人と比べて自分がどうだとかすぐ気にする人間になってほしくない。そこで、六連とか四連とかいうのは、各校の特色を指揮者の考え方、だから僕はやっぱり常任指揮者が振るべきだと思うの。その時々に指揮者をかえるべきではないと思うの。やっぱり大学合唱は早稲田なら早稲田、慶應なら慶應という一つの伝統っていうのが学校で大切なもんだと思う。一つの校風っていうのがあるようにワグネルにはワグネルの風っていうのかな、あのスタイルっていうものは変化しながらも残るべきだと思う。やっぱり四連なら四つの大学の校風っていうのかな? それぞれその特色を聴きあうっていうことが大事で、それがまた一般聴衆の楽しみでもあると思うわけなのね。 |
| 大久保 | だから結局前の話と関係してくるんだけど、いつも親のようにあたたかく見守って下さる先生がちゃんと一人いられる大学は、本当に幸せだと思う。大学というのはプロのオケと違うんだからね。畑中先生がおっしゃったように、普段本番よりいい演奏ができることが大いにあるべきだと思うのね。本番だけがいいというのは芸人のすることで大学のクラブとしての価値はなくなってしまう。それには、やはり一人、じっくりとソノ先生の全てがわかるくらいの音楽的な愛をうけられるような団体でないとね、困るしあまりいい結果は、でてこないと思う。 |
| 司会 | 木下先生の思い出を語っていただけますか? |
| 畑中 | とにかく、明治の精神を貫かれた方です。演奏旅行とかに御一緒してお隣の椅子とかに座っていらしても、姿勢をくずしたことがないですね。何時間でも、ピシッと座っていらっしゃるの、あの先生は。それがすべてを示しているように、本当に厳格な明治の音楽家だと思いますね。探究心ももちろんお有りだし、格というものを尊ばれた方ですね。形をピシッときめる、ちょっとも歪まないという厳しさ、そういうものを最も御自分の演奏にもお出しになったし、ワグネルにもお求めになったんだと思う。それと学生時代のレッスンの恐さっていうのは、私の恐いどころのお話じゃなかったですよ。要求されるものに妥協がないから、卒倒した子も何人もいますよ。私もちょっとお習いしましたけれどもね。ドイツ人の先生では1曲あがるのに2週間ぐらいかかるのね。ところが、あの先生は1回のレッスンで17〜18曲なさって次までに暗譜をさせるのよね。目の前真っ暗になりましたね。あなた方にはたぶんそこまで言わなかったんだろうと思うけど、そういう妥協のない厳しさっていうのはやっぱりすごかったですね。だから、僕はつい恐いというイメージがぬけ去らなかった。先生のお葬式に行ったときでも、まだ恐かった。本当に凛冽たる生き方を教えられましたよ。 |
| 司会 | ワグネルという存在が、両先生にとってどのようなものか、お話し下さい。 |
| 畑中 | 名前は忘れたけど、ある有名な芸術家の言葉に「死ぬということは、モーツァルトが聞けなくなることだ」っていうのがあるんだよね。それを使わせてもらうなら、僕にとっては「死ぬということは、ワグネルを振れなくなることだ」っていうことになるだろうね。これですべてを言い表わしていると思うよ。 |
| 大久保 | 僕がアマチュアの合唱団のヴォイストレーナーを始めたのは、ワグネルが一番最初だったのよね。だから、自分の奥の方に大切にしまっておきたいという存在であると同時に、常に上を目指さなきゃいけないという気持ちが、どうしても心から抜け去らないわけ。畑中先生の思い通りに近い声を作るのが、私の仕事だと思うから、うっかりしてはいられないのよね。 |
| 畑中 | あのー、技術あっての音楽だと思うのよね。技術がなかったら何も表現出来ないわけだから。人としゃべるときでも、ボキャブラリーの少ない人は何も伝えることができないのと同様に、音楽で何か人にうったえたいときには必ず技術がいるわけ。そういう技術の基礎を固める、縁の下の力持ち的な面を、大久保君に今うけもってもらっている。だから、2つの輪で車が動くように、どっちの輪が欠けてもね、ワグネルはうまくいかないだろうね。その点、今は2つの輪がいい速度でいっていると思うんですよね。2つの輪でワグネルがもっと高度なこと、深いこと、広いことを目指して、とにかく人間としての本当に豊かなキャパシティを持って、感受性の豊かな人間に育って下さい。それを望んで、私も一生懸命にやっております。 |
| 司会 | 本日は、お忙しいところ、どうもありがとうございました。 |