110回
演奏者

 第110回定期演奏会 

1985年12月
1日(日) 愛知勤労会館
2日(月) 大阪ザ・シンフォニーホール
15日(土) 東京厚生年金会館大ホール


演奏曲目  試聴可 
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  1. 北村指揮 Negro Spirituals(黒人霊歌)
  2. 畑中指揮 Lieder eines fahrenden Gesellen(さすらう若人の歌)
  3. 学生指揮 男声合唱組曲「富士山」
  4. 畑中指揮 民謡集「日本の笛」より
  5. 畑中指揮 劇的物語「ファウストの劫罰」より
  6.      アンコール

先生の言葉 畑中北村大久保三浦
夢のビッグ対談 畑中・大久保両先生に聞く

 PROGRAM 

慶應義塾塾歌
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第1ステージ
「Negro Spirituals」(黒人霊歌)

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  1. Soon Ah Will Be Done
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  2. Do-don't Touch-a my garment
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  3. Deep River
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  4. Ain'-a That Good News!
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  5. If I got my ticket, can I ride?
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  6. Listen to the Lambs
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  7. Ev'ry Time I Feel the Spirit
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第2ステージ
「Lieder eines fahrenden Gesellen」(さすらう若人の歌)

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  1. Wenn mein Schatz Hochzeit macht
        《いとしいひとがとついでゆくと》
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  2. Ging heut Morgen über's Feld
        《この朝 野をゆけば》
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  3. Ich hab' ein glühend Messer
        《私は灼熱した刀をもっていた》
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  4. Die zwei blauen Augen von meinem Schatz
        《いとしいひとの青いひとみは》
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第3ステージ
男声合唱組曲「富士山」

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  1. 作品第壹
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  2. 作品第肆
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  3. 作品第拾陸
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  4. 作品第拾捌
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  5. 作品第貳拾壹
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第4ステージ
民謡集「日本の笛」より
〜北原白秋生誕100年記念〜

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  1. 祭もどり
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  2. かじめとたんぽぽ
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  3. 親舟子舟
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  4. あの子この子
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  5. びいでびいで
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  6. 追分
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  7. 夏の宵月
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  8. 山は雪かよ
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  9. ちびつぐみ
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  10. 野焼の頃
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第5ステージ
劇的物語「ファウストの劫罰」より
〜男声版初演〜

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  1. RONDE DES PAYSANS
        《農民たちの輪舞》
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  2. CHANT DE LA FETE DE PAQUES
        《復活祭の合唱》
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  3. CHOEUR DE BUVEURS
        《酔っぱらいたちの合唱》
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  4. AIR DE MEPHISTOPHELES
        《メフィストフェレスのアリア》
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  5. CHOEUR DE GNOMES ET DE SYLPHES
        《精霊たちの合唱》
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  6. CHOEUR DE SOLDATS ET CHANSON D'ETUDIANTS
        《兵士たちと学生たちの合唱》
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  7. SERENADE DE MEPHISTOPHELES
        《メフィストフェレスのセレナーデ》
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  8. LA COURSE A L'ABIME
        《地獄への騎行》
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  9. PANDAEMONIUM
        《地獄・悪魔たちの巣窟》
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  10. DANS LE CIEL
        《天使の合唱》
    APOTHEOSE DE MARGUERITE
        《マルガリータへの讃歌》
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アンコール&ステージストーム
  1. Si mes vers avaient des ailes
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  2. Oh! Susanna!
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  3. Zueignung
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  4. 若き血
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  5. 我ぞ覇者
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  6. 丘の上
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 先生の言葉 


専任指揮者・畑中 良輔
第110回定期演奏会によせて

 ワグネルの指揮を引き承けて四半世紀。私は夢中でやってきた。学生だからといって手を抜いたことはただの一度もないし、音楽に対して偽りをもったこともない。ワグネルの諸君もそれに応えてくれた。そして、彼らのすがすがしいひたむきさは、逆に私をリフレッシュさせてくれた。その喜びは、今日も私に練習会場へと足を運ばせる。
 今年は“ワグネル始まって以来の大作”をメインに据えた。「ファウストの劫罰」はその日本初演の時私がソリストに加わっていた思い出の曲でもある。(指揮は近衛秀麿先生、他にソリストは木下保先生と中山悌一さんだった。)
 青春の希望と幻影、拮抗と絶望の中からやがて昇華してゆく魂のドラマは、本当に物凄い。ワグネルの持てる力を最大限に引き出して、ベルリオーズの情熱と狂気とを、それもフランス音楽という枠の中で、確実に描いてゆきたい。重層的な精神のいとなみを浮き上がらせるところまでゆくには、ワグネルはまだまだ力不足だが、一歩でもベルリオーズに近づきたいと思う。
 大曲の前に対称的に配した「日本の笛」は、北原白秋の純朴なリリシズムに、日本の民謡調と西洋的手法との織りなすあやが美しい佳曲である。今年は白秋生誕100年の年でもあり、30年近く前ワグネルのために平井先生ご自身に編曲していただいたものを、久々に取り上げてみた。
 この夏、志賀での合宿では、これら2曲と「さすらう若人の歌」を練習したのだが、それぞれの音楽のもつ〈意味〉を把握して歌い分けるのは難しいことだ。ドイツ音楽とフランス音楽の違いやら、白秋の生涯やら、随分時間をかけて“講議”をした。みずやかな感受性をもって、私のことばに敏感に反応してくれるワグネルの諸君を見て、こうして一緒に音楽することのできる喜びをいつまでも頒ち合いたいと思ったことだった。  

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指揮者・北村 協一
「これは大変だなと思った」

―――「棒振りのメッセージは音楽そのもの」とおっしゃる先生に、久々にワグネルをお振りになった“率直な”ご感想をうかがいました―――
 今回やってみて声のキャラクター自体ぶ厚いという気がする。よくいえば重厚、悪くいえば鈍重。ニグロは、はずませなければならないので、それに不慣れだなということはよくわかった。六連の時はまあまあだったけれど、心底はずんでいない。とにかく最初は、これは大変だなと思ったことは確か。(笑)
 それともう一つ戸惑ったことは、練習の時。だれも「ハイ」をも何とも答えないこと。この人たちは何を考えているんだろうかと思った。そのうち、そういえばワグネルはこうだったと思い出した。いちいち、「ハイハイ」いうのは畑中先生はお嫌いだから。
 それから、やっぱり英語の発音というのは難しい。どうしても癖が出てくる。ことばからくる抑揚が、それぞれの国の音楽があるわけだし。
 ニグロの難しいところは、発音もそうだけれど、本当のビートがなかなかできないところ。もって生まれたものだから。あの躍動感は、他の音楽にはない魅力だね。良質のゴムまりがはずんでいるような。それから、歌詞の内容は単純だけれど、人間の根源をついたようなところがある。だから、いろいろな人が共感をもちながら歌えるところがいい。
 男声合唱をやったら、一度はニグロを歌いたい。男声の魅力を発揮しやすいし。
 ワグネルというのは声を持っている合唱団だから、声は心配ないけれど。今度のプログラムの中でニグロは最も毛色が変わっているから、パッと切り替えてできるといいと思う。
 とにかく楽しんで歌ってほしい。もちろん野放図にではなく、一つの理解のもとに。まずは音楽を楽しんで歌ってもらえれば、ぼくはいうことはない。ただまちがえないように。(笑)

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ヴォイストレーナー・大久保 昭男
第110回定期演奏会に寄せて

 私がヴォイストレーナーとしてワグネルのみなさんと一緒に声の勉強を始めて、今年で25年になります。6月には、畑中先生と私のために沢山のOB、現役の方々が集まって、素晴しいパーティーを開いて下さいました。私は現在数多くの合唱団の声の指導をしていますが、そもそもの始まりがワグネルなのです。
 私の住んでいます千駄ヶ谷のイチョウ並木も美しく色づき、そして秋の色の終わりと共にまた定期演奏会がやって来ました。4月に入って来た1年生も、1年生だけの特別レッスンや夏合宿での厳しい練習を経て、見違える程に上達しました。1年生から4年生まで一人一人が情熱をもって心から歌うステージを、今日は客席で胸おどらせて聞いております。110回定期もまた、ワグネルの最高の演奏であることを祈ります。  

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ピアニスト・三浦 洋一
第110回定期演奏会に寄せて

 今年は、畑中先生と大久保先生がワグネルに来られて25年になると聞きました。私がワグネルの演奏会にお付き合いするようになってもうすぐ20年になります。(早いものです!)畑中先生や大久保先生にとってもそうだと思いますが、私にとって、ワグネルとのお付き合いはすっかり生活の一部となりました。今年は名古屋と大阪でも演奏会があるので、久しぶりにそちらのOBの方々ともお話できるのがとても楽しみです。
 今年は3つのステージを受けもちます。特に最後の「ファウストの劫罰」は佐藤君と二人で弾きますが、団員達もいつにもまして熱が入っているようです。彼らは、今日、燃焼しつくして目を赤くうるませることでしょう。その若い情熱はかけがえのないものです。私も、胸を熱くして、彼らを見守りたいと思います。   

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畑中良輔、大久保昭男両先生御指導25周年記念

 夢の“BIG対談”

'85・10・21(月) 都ホテル

インタビュアー:中野伸朗、香川孝之、岡本直樹、永井聖士
 インタビューに先立ちまして、両先生より、現役団員、OBに対して、去る6月29日に行われました謝恩会の御礼の言葉がございました。
司会 まず最初に25年前のワグネル就任時の思い出、先生方が男声合唱界にとびこまれたきっかけ等をお聞かせ下さい。
畑中 男声合唱に飛び込んだのは、直接にと言ったら、福永陽一郎君が非常に熱をあげていたもので、無理矢理引っ張り込まれたというのかなぁ。とにかく六連ができたころだよ。初回の音楽会が中央大の講堂であったんですよ。わけわからなく連れ込まれて、あまりの人ごみにびっくりして逃げ出したんだ。陽ちゃん(福永先生)が六連、六連とさわいでいたんだけども、六連というのが何のことなのかもわからなかったのね。だけど仕事場で陽ちゃんと会って職業合唱団をつくりたいというんで、日本で最初のプロ合唱団として東京コラリアーズを作って、全国を回り出したのが始めですね。その時はダクさん(大久保先生)は、よく“トラ”でお願いしたんだけど、学生だったの?
大久保 もう違いましたね。
畑中 ワグネルとはどっちが早いの?
司会 今年で六連が34回になりますから。
畑中 そうしたら六連の方が昔ですね。それでそのうちに北村の協ちゃんに「慶応が先生のところに行くみたいですから覚悟しといて下さい」と言われて……。すると田中(36卒)と淀野(36卒)がやって来て、始めはヴォイストレーニングを、という話だったんだけど、アマチュアって教えたことないもんで困惑して「とにかく行ってみます」と言うことで、初め「嫌だ」って言ってたんですが淀野の家が僕の家から目と鼻の先だったもので彼が1週間ぐらい毎晩来て、それでついに根負けしてやり出した、というのが始めですねぇ。やりだしたのはいいんだけど、ヴォイトレだけじゃなくて、曲を振れということになって、そうなると曲もヴォイトレも全部やるには時間的に無理なので、僕のやり方をわかってくれている大久保君に「来てくれたら助かるんだけど…」って聞いたら「じゃ、行きましょう」ということで、大久保先生がおいでになりました(笑)。
大久保 初めてワグネルに行ったのは、夏合宿からなんだけど、僕はそれまでタオルとか持っていかなくてもいいホテルに泊まっていたから、これは大変なことになったなと思って…。
畑中 枕かかえて行ったなぁ。
大久保 自分愛用のやつをね(笑)。畑中先生からお話があったんだけど、余り自信がなかったっていうか、引っ込み思案だったんですね。
畑中 初めちょっと渋ったのね。
大久保 そうなんです。初めての世界でしたからね。でもひきうけたからにはできるだけということで、初め畑中先生の発声法のメソッドでスタートしたわけね。僕はそのとき、横にいて畑中先生のアシスタントのようにいろいろさせて戴いて……………そのとき初めて先生の棒でトスティを歌ったんでしたね。
畑中 そのときからだったの?
大久保 トスティの歌曲集を協ちゃんの編曲でして、 その頃のワグネルはドイツ語もなにも、イタリー語さえもあやしかったので、それを指導したのを覚えてますね。
司会 ワグネリアンに初めて接した時の先生方のご感想をお聞かせ下さい。
畑中 非常に、音楽に対する情熱とかひたむきに歌いたいという気持を持っているので、やっているうちに専門家にない純粋なもの、何て言ったらいいのかなぁ、無償なものを感じたのよねぇ。音楽っていうのは、歌った瞬間に消えるものだし、消えるものに熱中しているというのは、くだらないことに思えるかも知れない。だけど、消えるからいいんだよね。ヘッセの小説“クヌルプ”に「花火はなぜ美しいかっていったら、瞬間に消えるから美しい」っていうとこがあるのね。やっぱり、音楽っていうのは、たった一回の行為の中に全てが消えてしまう、消えることによって永遠性が出てくるわけね。そういう無償の行為に対して、本当に打ち込んでいる青年たちの気持ちっていうのが、話してるうち、練習してるうちにわかって来たし、僕もそれを倍にして返してあげたいと思うようになったし、とにかく教えることによって、僕も純粋な学び方ができたし、みんなも僕から何か採れるものがあれば、採っていくだろうし、結局そういうひたむきさが今までワグネルを25年間やってこれた、お互いの原動力じゃないかと思うけど。歌っているときは、うそがないもの、お互いにね。かけひきも何もないから、一番純粋になっているだろうと思いますよ。
司会 大久保先生いかがですか?
大久保 専門家や芸大生のようにすごい競争のある所にいるせいか、全然関係のない人達がただ好きで一生懸命声を合わせて歌うという純粋さがものすごく魅力ね。僕はチビで自分で声を持っていないものだから、どうやってしたら声が出るのかっていう苦労を人一倍知っているわけね。だから自分が覚えて来たことをアマチュアの人達に最短距離で教えることができるっていうのがわかってきたんだけど、どんな人の声でも、自分がそうだったものだから、この方法でやって行けばある程度の方向が出ると思う自信があったの。だから、4月に入って来た新入生が、定演の頃になるとだんだん上級生の声に近づいているというのが、ひとつの楽しみになったのね。そういう人たちが木下・畑中先生の立派なステージをもたれたときに、自分が思っている以上の音楽の声が聞こえてくることが何よりも感激……。
畑中 涙が出そうになる?
大久保 そういう時もあるし、ある時はかわいさ余った憎さで、のたうちまわってしまいそうになる。大学の合唱ってのは4年たって、せっかくいい方向に発声が来たときに出ちゃうでしょ、でまた1年が入ってきて、また乱れるわけね。それをまた埋めていくってことは大変だけど、僕は運命だと思っているの。
司会 ワグネルの音楽っていうものについて、いわゆる、ワグネルトーンとか、ドイツ音楽・ロマン派が主流とかいわれてますが、その辺についてお答え下さい。また、ワグネルはアマチュア合唱界の中でどのような位置にあるとお考えですか。
大久保 それはやはり畑中先生の音楽の作り方が永年に渡ってワグネルに染み渡って、4年ごとに上級生は出ていくものの、音楽の魂は受け継いでいるからね。だから、音楽っていうのはやはり、指揮者のレベルが高いほどいいんだろうね。それをまとめられる指揮者によって音楽は作られるから。そういうことでワグネルの音楽っていうのは、畑中先生とワグネルが組むことによって、他にまねのできないすばらしいものになることがあるのね。
畑中 音楽によって心を耕すっていうのかな、人間としての感情のキャパシティを最大に広げることが僕の考えであり、最終的には本番よりも練習の方が大事だってことね。大学合唱では耕しているときが大事なのね。合唱を通じて世界の音楽への心を開いて欲しい 耳も心も一つの方向だけで固まってしまうのではなくて、常に耕している。だからできる限り世界の音楽、もちろん日本の作品もやりながら、ワグネルはドイツ音楽を主流としているけれども、できる限り世界の音楽へアプローチしながら柔軟な感受性を身に付けて、一生の宝となるような感受性を養って欲しいと思っている。ただ、音楽だけやっているんじゃなくて人間形成っていうのかなあ、人間としての成長というものにまで引っぱり上げるということ。だから、音楽はやっぱり哲学だと思っている。決してエンターテイメントだけじゃなく哲学だと思っているわけ。一つの物のスペシャリストにはしたくない。ドイツ音楽以外はできないんじゃなくて、現在フランスものもやってるし、それだけ苦しみは多いけど、それだけの心が世界に向って開かれるんだから、それをワグネルの特色にしたいなあと思っている。委嘱作品ていうのは、みんなやってるんだけれども、未知のものでしょ。幸い、今までへんなものに行き当たらなかったからよかったものの、へんなものができたときに、それを何百回となく練習してるうちに、感性が摩滅しちゃって、ただもう、日常性の中で練習しなければならなくなったとき、僕も苦痛だしみんなも苦痛だと思うし、意味がないと思うんですね。だから、委嘱っていうのは極力避けてきた。そのかわり、世界の本当の名曲を何とか合唱を通してアプローチして、今度の「ファウストの劫罰」にしても、本物を聞いたときに理解度が深まって来ると思うのね。ワグネルトーンて確かに他とは違うのかも知れないけれど、誰がワグネルトーンてつけ出したか知らない。僕は自分でワグネルトーンなんて言ったこともないし、そんな一つのトーンで、縛られたくもないし、ワグネルトーンと言われると、何か後ろめたいのよね。何々しなきゃならないという考え方が好きじゃないし、一つの音楽に10人がアプローチすれば、10通りの音楽があるわけで、絶対というものはない。どんなやり方も認められるような人間におなりなさいと僕は言いたいわけ。ワグネルを通して。ただ欠点とすればワグネルトーンはひきずって重いわね。それは僕の棒のテクニックがいつもないんだろうと反省はしているんですけれども、リズムさばきが決してうまいとは思わないし、鈍重で、むかしは僕が棒を振るとみんな笑っていたもんね。だけど歌っている声は他の指揮者がやっているときと全然ちがう声がでてくるものでねというのが唯一のよりどころで、それだから、僕のたりないところを他の指揮者で補ってワグネルの人たちにいろんなもの、例えば皆川さんにミサとか、三林君にフランスものとか、僕のたりないところを補ってくれる指揮者が必ずいるはずだからやってもらっているわけ。全てを一人でカバーできる能力はないから、可能な限りいろんないい指揮者を頼んでそこからいいものを感じとってひとつ大きくなってほしいと思うね。
大久保 確かにワグネルトーンていうのは、ある一時期10年前ぐらいか、六連エールの時には、ずばぬけて声楽的な声で歌った時期があったの。そのころはワグネルがエールでひとこえ出して歌いだすと、本当に音楽を知っている人々は客席でざわめく声がたしかに聞こえたの。僕も嬉しかったし、やっぱりトレーニングの行き届いた声とそうでない声がこんなにも違うものかと残念だったわけ。しかしもう最近は各団ともレベルアップしてどの団も一定してきたから、ワグネルはモットモット……。
畑中 追いつかれないように。
大久保 もっとやっぱり先端をきっていってほしいし……。
司会 次にこれからの日本のアマチュア合唱回の動向など活発に行われていますコンクールなどを中心にお話し下さい。
畑中 おとついと昨日までは関東合唱連盟コンクール審査をいたしまして、僕がむかし何十年も前はじめて審査を始めた頃と比べて、格段とうまくなっているし、発声に対する注意が非常に行き届いている団体が多かった。ただ、そういう技術的条件はそろっているのに心がないっていうのかな。安らぎがないですね。音楽っていうのは人に憩いを与え安らぎを与えるものだと思うんだけれども、それを失っては合唱にもならないし、その点がちょっと寂しいですね。いまのアマチュア合唱界がおちいる危険は、人間の歌を心をうたいだせるような、技術をもう持っているんだから、そのひとつ上にいくようにしなければ……でもそれは指導者でしょうね。どこの合唱団でも兵隊は同じなんだから。
大久保 けれどもその兵隊が、ある程度のレベルは持っていないとまずいと思う。その上にその指揮者の人の普段の教育が大切だと思う。団員はその指揮者の体温を感じながら、練習の時涙するような、そんな団体と指揮者の関係が理想でしょうね。けれどもそのアマチュア団体が努力して理想の団体であったとしても、コンクール審査員の方が、本当によく勉強されて、総合的な審査をするだけの資格のある人をアマチュアの方々も選んでいかないと。本当にわかっていない人がどこの世界にもいるのね。だから審査員の人選を注意しておこなわないと、そのコンクールに何の意味もなくなってしまうからね。
畑中 コンクール委員会に言ってよ(笑)。
司会 そういうコンクール至上主義ってものに対して四連などは創られたそうなんですが、その辺に関しては先生方はいかがですか?
畑中 僕は慶應にコンクールに今まで出ろとも出ようとも言わないのは、やっぱり音楽は数で決まるものではないから嫌なんですね。それに人と比べて自分がどうだとかすぐ気にする人間になってほしくない。そこで、六連とか四連とかいうのは、各校の特色を指揮者の考え方、だから僕はやっぱり常任指揮者が振るべきだと思うの。その時々に指揮者をかえるべきではないと思うの。やっぱり大学合唱は早稲田なら早稲田、慶應なら慶應という一つの伝統っていうのが学校で大切なもんだと思う。一つの校風っていうのがあるようにワグネルにはワグネルの風っていうのかな、あのスタイルっていうものは変化しながらも残るべきだと思う。やっぱり四連なら四つの大学の校風っていうのかな? それぞれその特色を聴きあうっていうことが大事で、それがまた一般聴衆の楽しみでもあると思うわけなのね。
大久保 だから結局前の話と関係してくるんだけど、いつも親のようにあたたかく見守って下さる先生がちゃんと一人いられる大学は、本当に幸せだと思う。大学というのはプロのオケと違うんだからね。畑中先生がおっしゃったように、普段本番よりいい演奏ができることが大いにあるべきだと思うのね。本番だけがいいというのは芸人のすることで大学のクラブとしての価値はなくなってしまう。それには、やはり一人、じっくりとソノ先生の全てがわかるくらいの音楽的な愛をうけられるような団体でないとね、困るしあまりいい結果は、でてこないと思う。
司会 木下先生の思い出を語っていただけますか?
畑中 とにかく、明治の精神を貫かれた方です。演奏旅行とかに御一緒してお隣の椅子とかに座っていらしても、姿勢をくずしたことがないですね。何時間でも、ピシッと座っていらっしゃるの、あの先生は。それがすべてを示しているように、本当に厳格な明治の音楽家だと思いますね。探究心ももちろんお有りだし、格というものを尊ばれた方ですね。形をピシッときめる、ちょっとも歪まないという厳しさ、そういうものを最も御自分の演奏にもお出しになったし、ワグネルにもお求めになったんだと思う。それと学生時代のレッスンの恐さっていうのは、私の恐いどころのお話じゃなかったですよ。要求されるものに妥協がないから、卒倒した子も何人もいますよ。私もちょっとお習いしましたけれどもね。ドイツ人の先生では1曲あがるのに2週間ぐらいかかるのね。ところが、あの先生は1回のレッスンで17〜18曲なさって次までに暗譜をさせるのよね。目の前真っ暗になりましたね。あなた方にはたぶんそこまで言わなかったんだろうと思うけど、そういう妥協のない厳しさっていうのはやっぱりすごかったですね。だから、僕はつい恐いというイメージがぬけ去らなかった。先生のお葬式に行ったときでも、まだ恐かった。本当に凛冽たる生き方を教えられましたよ。
司会 ワグネルという存在が、両先生にとってどのようなものか、お話し下さい。
畑中 名前は忘れたけど、ある有名な芸術家の言葉に「死ぬということは、モーツァルトが聞けなくなることだ」っていうのがあるんだよね。それを使わせてもらうなら、僕にとっては「死ぬということは、ワグネルを振れなくなることだ」っていうことになるだろうね。これですべてを言い表わしていると思うよ。
大久保 僕がアマチュアの合唱団のヴォイストレーナーを始めたのは、ワグネルが一番最初だったのよね。だから、自分の奥の方に大切にしまっておきたいという存在であると同時に、常に上を目指さなきゃいけないという気持ちが、どうしても心から抜け去らないわけ。畑中先生の思い通りに近い声を作るのが、私の仕事だと思うから、うっかりしてはいられないのよね。
畑中 あのー、技術あっての音楽だと思うのよね。技術がなかったら何も表現出来ないわけだから。人としゃべるときでも、ボキャブラリーの少ない人は何も伝えることができないのと同様に、音楽で何か人にうったえたいときには必ず技術がいるわけ。そういう技術の基礎を固める、縁の下の力持ち的な面を、大久保君に今うけもってもらっている。だから、2つの輪で車が動くように、どっちの輪が欠けてもね、ワグネルはうまくいかないだろうね。その点、今は2つの輪がいい速度でいっていると思うんですよね。2つの輪でワグネルがもっと高度なこと、深いこと、広いことを目指して、とにかく人間としての本当に豊かなキャパシティを持って、感受性の豊かな人間に育って下さい。それを望んで、私も一生懸命にやっております。
司会 本日は、お忙しいところ、どうもありがとうございました。
 

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