1970年12月
| 13日 | (日) | 東京厚生年金会館大ホール |
| 19日 | (土) | 愛知文化講堂 |
| 20日 | (日) | 大阪厚生年金会館大ホール |
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- 木下指揮 SCHUBERT男声合唱曲集
- 学生指揮 男声合唱組曲「草野心平の詩から」
- 畑中指揮 Porgy and Bess
- 木下指揮 男声合唱のためのコンポジション第2番
- 畑中指揮 鎮魂歌
- アンコール
先生の言葉 木下(1)・木下(2)・木下(3)・畑中(1)・畑中(2)・大久保
作詩作曲編曲者より 多田・間宮・清水・福永
慶應義塾塾歌
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第1ステージ
SCHUBERT男声合唱曲集
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- Salve Regina
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- Im Gegenwäryigen Vergangenes
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- Ständchen
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- Widerspruch
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- 作曲 F.Schubert
- 指揮 木下 保
- ピアノ 三浦洋一
- 独唱 安達千枝子(アルトソロ)
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第2ステージ
男声合唱組曲「草野心平の詩から」
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- 石家荘にて
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- 天
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- 金魚
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- 雨
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- さくら散る
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第3ステージ
Porgy and Bess
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- Summer-time 〜 A woman is a sometime thing
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- My man's gone now
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- Oh, I got plenty of nothing
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- Bess, you is my woman now
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- There's a boat that leaving soon for New York
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- Bess, oh where's my Bess 〜 Oh, Load! I'm on my way
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- 作曲 G.Gershwin
- 指揮 畑中良輔
- ピアノ 三浦洋一
- 独唱 築地利三郎(Porgy)
瀬山詠子(Bess)
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第4ステージ
男声合唱のためのコンポジション第2番
(合唱のためのコンポジション第6番)
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- モデム版

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第5ステージ
鎮魂歌
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- 作詩 木原孝一
- 作曲 清水 脩
- 指揮 畑中良輔
- ピアノ 三浦洋一、細川哲朗
- 女声合唱 ワグネル・ソサィエティー女声合唱団
女声合唱指導 木村文男
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アンコール
- LIEBE
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- 年の別れ
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- SERENADE
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顧問指揮者・木下 保
第95回定期に寄せて
今年の慶応ワグネルソサィエティー男声合唱団の雰囲気から大変な意気込みを感じさせます。
定期演奏会も東京だけではおさまらず、名古屋、大阪にまで持ち込んで盛り上げようとして居るのです。
その自信たるやまた確固たるもののようです。プログラムの組み方や曲目の内容を見て頂けば直ちに諒解して頂けると存じますが、極めてヴァラィエティーに富み、各ステージには豪華なソリストが登場致します。
学生アマチュア団体の演奏会としては、今迄に例の無い程絢爛たるステージが繰りひろげられることになります。
それだけに常々の練習には毎年以上に厳しさが要求され、凡ゆる面からお互に練磨を積み重ねて来ました。
何卒厳しい御批判と暖かい拍手をお願いする次第であります。
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ワグネルはシューベルトが好きだ
考えて見ると誠に変手枯りんな題目である。慶応ボーイにはピーンとくるであろうが、一般外部の人々には何のことやら理解に苦しむ言葉であろう。
作曲家リヒャルト・ヴァーグナーとシューベルトの作風から芸術の在り方から比較して、先ずそんな言葉が生れよう筈がない。
過去3、40年間の慶応ワグネルソサィエティーの定期で、シューベルトの男声合唱曲を繰り返し、何曲を何度歌ったことか。よくも歌い続けたものだとつくづく思い、種々様々な感慨がよみがえって来る。
定期のプログラムに組み入れられるのは、久し振りであるかも知れないが、実は一昨年のアメリカへの演奏旅行のみぎり、一ステージのシューベルト歌曲集があったのであるから、久し振りとは言えない。
兎に角学生の切なる要望で又々此度シューベルトを歌うことになったのである。
最初の練習に入った瞬間から彼等の瞳は輝き、身体は躍動し、水を得た魚とは斯んなことかと再めて思ったことだった。
声楽を志し、合唱音楽を愛する人にとってシューベルトの声楽曲が現在いかに重要な地位を占めているかは、改めていう必要はあるまい。
声楽曲である以上、合唱曲と雖もシューベルトのリードや宗教曲とは無縁とは言い得ない。否寧ろシューベルト独特の歌謡性に富み、旋律の美しさ、親しみ易さ、音楽を完全に詩の世界と密着させて、詩の微妙な感情のニュアンスをとらえての表現のしかたなどは同等であると言っても差支えはないであろう。
“野ばら”や“菩提樹”“アヴェ・マリア”等はリードであり、合唱曲としても単にドイツと言うのではなく、世界の民謡と言ってよい程人口に膾灸していることは誰も知っていることであろう。
シューベルトは男声合唱曲を約60曲程も残した。それ等はいづれも芸術性の高いものばかりだから驚くべきことなのである。
シューベルトは“未完成”と呼ばれる交響をはじめとして10曲の交響曲、弦楽四重奏曲“死と乙女”、ピアノ五重奏曲“鱒”等。数多くの室内楽曲、ピアノソナタ、即興曲等のピアノ曲、三つのオペラ、変ホ、変イ調其の他の宗教曲、600曲程もあるリードの中で、僅かばかりは駄作だと言う皮肉屋もいないではないが、こと男声合唱に関する限り、各曲は傑作ばかりであると言っても過言ではない。
シューベルトの作品の中で男声合唱曲の重要性は以上のことで察せられるが、ワグネリアンがこよなく愛し、シューベルトに執着し熱意を燃やすことは宜なるかなである。ワグネルはシューベルトが好き、である。
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「コンポジション」を演奏するに当って
間宮さんの一連のコンポジションは、氏の言葉を借りるならば、“はだしの音楽”ということとなる。つまり、音楽は頭で考えたものではなく、生活全体から出発した、土からじかに足の裏で感じた人間のプリミティーブなものでなければならぬとする詩の音楽観によって作曲されている。
コンポジションの楽譜を見、氏の考えを聞いた時、私は我が意を得たりと思ったのである。我々が日本人である限り決して切り離せぬ日本人の血を、西洋音楽を学んでゆく内に前々から感じ、西洋音楽にはまだまだ学ぶべき事は多々あるが、日本のことを忘れてはならぬと確信していたからである。
ワグネル男声合唱団でコンポジション三番を初演し、さらに、一昨年には第二回世界大学合唱祭に参加し、この曲をアメリカ各地で演奏して大変な公表を博し、我々の民族の持つプリミティーブな音楽が民族の如何を問わず人々を感動させる要素を持っていると確信を得て帰って来たのであるが、その頃コンポジション六番の楽譜を見た私は、どうしてもこれをワグネル男声合唱団でやらねばならぬと心ひそかに思っていたのである。
今回とりあげた六番で、氏は日本の田園風景、のどかな、パストラーレな、その中にはぐくまれている民衆の生活を表現している。特に第二楽章は阿波踊り風のリズムを模しているが、練習に取りかかって、阿波踊りを知らぬ学生諸君が不思議なことに歌えるのである。それは楽譜には決して書けないリズムである。
楽譜は法律である。法律は犯してはならぬが、法律の中に人間の生活があるのである。我々は此の度の演奏で楽譜の裏にある“魂”を歌わねばならぬ。而も我々祖先伝来の「心のふるさと」を歌った歌をうたいあげるのである。ご期待を乞う。
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専任指揮者・畑中 良輔
ワグネリアンへ
ぼくたちは音楽を聴く。音を聴く。しかし、いろいろな音をきいているうちに、それらの音が、ただ感覚から入って、そこで終結してしまう音と、そうでない音があるのに気附かされて来る。つまり、その音が感覚から導入されて、人間の精神のいちばん深いところへとどき、その精神を揺り動かしてしまう音である。
ただ感覚に訴え、感覚を刺戟する音楽が必要なのなら、ただ美しく、ただ劇的であれば事足りるかもしれない。しかしぼくたちが、少なくとも、ワグネルの諸君が(ぼくをもふくめて)求めている音、音楽は、精神の充足であり、渇仰であり、音楽を通じて、ひとつの〈完璧な世界の創造〉であらねばならない。もっと、人間の存在の根源からの叫びが、音を受容し、更にそれを創造に昂めなければなるまい。
音楽すると言うことは、ひとつの哲学を自分の中に拓くことである。そして、ときには絶望に近い忍耐と、人間の限界への勇気ある男らしい挑戦が、音楽を通じて試みられたとき、ぼくたちは〈高貴なる世界〉の存在を信ずることが出来るようになる。
君たちワグネリアンは、これを四年間のうちに成し遂げねばならない。君たちは自ら求めて音楽の苦しさを自分に課したのである。その時、君たちひとりひとり、誇らかに叫んでよいのだ。
“音楽によって精神を鍛えられたる者の顔を視よ!”
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鎮魂歌抄
清水脩氏の作品には、安易な娯楽性を拒否しようとするかたくなな姿勢がある。それは宿命的なものである――といった意味のことを以前、朝日新聞に書いたことがあります。
たしかに、清水作品のどれをとっても、そこに書かれた音たちは、わたしたちにいつも鋭い、真剣な問いかけを用意しています。
たとえば「月光とピエロ」のような、氏の作品としては初期に属するものにも、既にこの姿勢を読み取る事が出来ます。spれは、作品が古くなるに従って、忘れ去られるようなものとは本質的に異なっていて、時がたてばたつほど、その〈問いかけ〉は熾烈となって来るのです。
文明の発達の極限において、いまや文科の潰滅が予言されるようになった二十世紀のこの後半にあって、このピエロの悲しみは、どう解釈されるべきでしょうか。凡てに、存在という連繋を断たれた〈疎外者(アウトサイダー)〉の悲哀は、今こそ、初演当時より更に更に熱烈なる共感をもって歌われねばならないのです。
ベートーヴェンか、ブラームスか、そしてもっと以前のモーツァルトか、バッハか、現代に提供している問題は、常に新しいではありませんか。
この前、べームの回想記を読んでいたら、彼は早起きして、毎日「フィガロ」や「フィデリオ」のスコアを読むのを日課としているというので、おどろきました。べームはこれらのオペラをもう千回以上も振っていて、どんな細かいところも暗記しつくしている筈です。ベルリン・ドイツ・オペラがはじめて日本に来た時、この二つのオペラの何と感動的だったことか。「囚人の合唱」がはじまるともうぼくの体はがくがくふるえ、涙があとからあとから突き上げて来たのです。それはぼくの全存在をくつがえし、今迄考えてもみなかったような世界を、べームは私に展いてみせてくれたのでした。これほどのベームが、毎朝、まだこれらのスコアを読むというのです。
そして彼はこう云っています。「読むたびに新しい発見がある」
× × ×
清水作品は、こうしたアプローチに耐え得る精神の勁さを持っています。時には晦渋であり、甘美な旋律に乏しく、一度聴いたくらいでは、とっつきの悪い作品が多くあります。
一口でいえば、“耳ざわり”が良いとはお世辞にもいえません。しかし、ぼくは、それゆえにこそ、清水作品が、歌うひとりひとりの心の奥底に住むことができるのだと信じています。一度住みついたら、それはおそらく一生のあいだ心の底で、そのひとの低続音として、その音楽は鳴りつづけるでしょう。
今迄、ワグネルと清水作品は一番縁の深い関係を保って来ました。おそらく、ワグネルの体質の中に、清水作品の影響は多大なるものがあると思われます。今度の「鎮魂歌」において、ぼくたちは、せまい日本と、グローバルな視点における日本と、をダブらせながら考え、歌いたいと思っています。昭和の年号と、西暦との対比を、ぼくはそのように解釈しました。そこで朗読者も、昭和の方を女声で、西暦の方を男声で対比させてみようと考えたのです。日本の背負った悲劇は、殊にぼくらの年代の人間にはいちばん痛烈な〈負け犬〉的思想をもたらしましたが、その反面、その〈いたみ〉から、日本が一度は通過しなければならなかった〈傷〉として、(その傷は、いまなお癒えるどころか、われわれにのしかかっているけれど)正面切って受けようと思っています。
これを書きながら、学徒出陣の、神宮外苑での雨の日の、あの式典が目の前に泛んで来ました。その殆どの若者は戦死してしまいました。そうして、ぼくも死ぬつもりで戦地へ赴いたのに、今こうして音楽の中に住んでいられることが、なんだか死んだ戦友たちに対して申しわけないことのような気がするのです。
この「鎮魂歌」の演奏は清水先生の初稿により演奏致しておりますので、現在カワイ楽譜により出版されております楽譜と少し異なっておりますので、その点御了承下さい。
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ヴォイストレーナー・大久保 昭男
12月、今年もまた定期演奏会が大きくやって来た。
今年の春、元気よくワグネルに入ってきた若々しい1年生も共に数々の訓練も重ね、雨の日も風の日も、歌を唱うために必要な美しい声を作り上げる努力を続けて来た。その積極的な努力と訓練が美しく大きなものとなって音楽の上に現れ、聞く人を感動させる結果となる。
発声の技術は非常に難しいものではあるが、忍耐のある時間をかければ必ず習得できるものだと私は信じている。発声に於て、完璧ということは殆んど不可能だろうけれど、より高い技術を少しでも習得する為の訓練は歌う人のどうしてもしなければならない仕事なのだ。ワグネルの諸君の音楽的な仕事は、まだまだ沢山あり、演奏がある限り、無くなることは全くないのである。それから凡て音楽は器楽でも声楽でも、自分の演奏を自分自身でよく聞くことが何より大切であることを心してほしい。演奏しながら自分をよく聞くのである。それが為には自分の耳を常に鍛へ、より高いものへと成長させて、聞いてくれる人以上に、よく聞く自分でなければ決していい演奏が望めない様に私は思う。
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作曲者・多田 武彦
組曲「草野心平の詩から」について
この組曲は昭和36年、慶應義塾ワグネルソサィエティ男声合唱団の委嘱により作曲し、畑中先生の指揮によって初演された。その前の年から畑中先生がワグネルを本格的に指導され始め、従来のワグネルの地位が数段高く昂揚した頃である。従って、そのような実力急上昇のワグネルのために書くには、相当厚みのある作品を選ばなければ、と思い、あれこれと詩を探しているうちに辿りついたのが、一連の草野心平先生の詩である。草野心平先生と言えば、「富士山」や「蛙」のような詩によって象徴されるが、そうした詩集の谷間に、これはまた対照的な程に幻想的絵画的な一連の詩があった。そこでこれを氈A。、」に配し、、「には、明るくスケールの大きな詩を置いて組曲を組むことにした。
この組曲は、アマチュア団体には難しすぎるせいか、作曲後9年にもなるが余り歌われない。意欲的な団体が偶にとり組んでくれるが、全曲にわたって名演奏をきくことがない。初演のときのワグネルと、その後北村協一氏の指揮で関西学院グリークラブが歌ったとき以外は、名演奏を聴いていない。私の合唱組曲のヒットナンバーの「柳河風俗詩」や「雨」には見られない底の深い抒情性がある筈なのに、どういうわけか、アマチュア団体から敬遠されている可哀想な組曲になってしまっている。
組曲「草野心平の詩から」は、今年、ワグネルに再演していただく機会を得て、久し振りに、ほほえんだ。来年は、畑中先生の指揮でビクターでレコーディングされる予定になっている。この機会に、組曲「草野心平の詩から」の良さが、より多くの人々の心に残るようになれば幸せだと思っている。
× × ×
機会あるごとに私は云っているが、畑中先生の主張されている「演奏比較学」的見地から日本のプロ・アマ合唱団の演奏を、外国の名演奏団体のそれと比較検討してみると、「楽譜に書いていない表現方法(即ち、@音符の残響型と持続型との区別による表現。A拍子の強弱関係の変化による表現。B音符の開始時のアタックの硬軟の変化による表現等々)」の駆使に余りにも無頓着がありすぎるのに気づく。畑中先生の慶応ワグネル、北村先生と関学グリー、及びその他数団体が、この「楽譜に書いてない表現方法」を可成りよく駆使している。「Heartで歌え!」と云われても、その技術的根拠を知らない限り、この言葉は観念的空論にすぎない。数多くの名演奏を比較検討する積み重ねの後、少しづつ、この技術的根拠に近づくことが出来るものと私は思っている。今宵ワグネルが、組曲「草野心平の詩から」において、その模範的演技をみせてくれるものと期待している。
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作曲者・間宮 芳生
「コンポジションと私」
芸術はすべてそうであるが、音楽の作曲という行為は、何も無い所から何かをひねり出すのではなく、人間の中に既に内在している何ものかを“顕在化”するということであろう。その作業の中で、内在する“何ものか”の秘密を探ってゆくと、人間であれば誰にでも共通なものと、これが日本人だから、というものの違いに気づく。つまり、ヨーロッパ人特有の発想、東洋だから、アフリカだからこのような発想、という違いを発見する。そして、その違いが明らかになることによって、反対に人間であれば誰でも共通なもの、音楽の持つインターナショナルな要素というものが何であるかが判明して来るのである。私は日本の伝統音楽・民族芸能を調べてゆくうちに、以前よりもヨーロッパ音楽が何であり、共通なものが何であるかが私には明確になってきたのである。そして、気づいた音楽の違いの重要な要素、ヨーロッパと我々を隔てているものの一つがリズムなのである。
リズム、それは私が一連のコンポジションで追求している《足の裏の音楽》という考えを生むのである。つまり、私は東洋・西洋という分け方でない分け方に気づいたのである。私は大陸・半島・島というように分けてみたのである。そして、地形によって分けた場合それぞれの基本的なリズムを調べてみると、半島(イタリア・タイ・マレーシア・朝鮮など)の音楽にすべて共通するリズムは、振り子のリズムであり、三拍子が多く、それに三拍子と四拍子の混じった踊りのリズムが多い。このリズムは一振動に二度停止し、それが反動となっていて、周期はわりあい一定している。我々はそのリズムを腰で感じるのである。それに対して大陸にゆくとこれは回転運動又は螺旋運動のリズムで、停止することが無く、二拍子が主で、この場合リズムの単位自体がかなり自由に揺れ動く。リズムをとる所は上半身であり、モーツァルトは大陸型の典型であるといえる。そして、日本のような島、アフリカなどでは、拍子は一拍子、“置く”リズムとなる(アフリカは大陸であるが、アフリカの部族間の交流をさ、妨げる地形上の状況を考えて、それを海と考える)。置くリズムとは、物を置いて離す所にリズムのポイントがあるもので、拍子は全てきわめて均等、リズムは膝から下で感じる(これが足の裏の音楽の意味である)。ところがこのリズムは膝の下が一定のリズムを刻むのに対し、上半身がそのリズムとずれた自由な揺れを生じる点に特徴がある。(日本の民族芸能においてはリズムが均等、芸術音楽においてはいく分リズムが揺れる)
このように私はリズムの違いを調べてきたが、私のコンポジションは、まさにそれらの違いを見つけることによって共通なるものを見い出そうとする姿勢から生まれてきたものである。私はその作品の素材を自分の祖先である日本の芸能に求めたが、それはあくまでも素材であってほかの何物でもない。民族芸能はいってみれば《自然》であって、それをそのまま使っても芸術とは言えない。バルトークがハンガリーその他の民族音楽の中から自分の芸術を抽出したように、自然の中から人間の価値あるものを抽出する、そのいとなみがあって初めて芸術作品となりうる。しかし、問題はさらに、素材にどこで反逆するかという事になる。素材に拘束されてはならず、素材から離れた所から、本当のクリエイトが始まるのである。
沐ヤから、番までのコンポジションにおいて、私の素材に対する関係もやはり変ってきた。沐ヤにおいては私はむしろ素材のおもしろさに引っぱられ、素材は自分の外にあったが、、番まで書くに及び、自分の発想が素材をことさら使おうとして、なくても自然に使う事になってしまった。既に、番では自分の内面の声と私達の遺産としての素材との距離が無くなり、自然な形で受け入れられるようになった。そして。それと同時に私はヨーロッパの音楽が身近なものになっていることに気づいたのである。
コンポジションにおいて、「ことば」はほとんど意志伝達機能を有しない。現在は感情や情緒だけをたよりにしてことばと音を安易に結びつけている音楽が多すぎる。私にとって言葉を完全に扱うことが究極の目的であるが、そのためにも私はコンポジションの段階が必要であり、声とことばの結びつきの極点を探ってみたいと思っている。ことばの中に内在するリズムが民族のリズムの特徴を形づくっているともいえるからである。
コンポジションはあらゆる意味において、私にとって一つの段階でありながら、一つの音楽の結晶になっているのである。(談)
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作曲者・清水 脩
「鎮魂歌」について
木原孝一氏の詩集「ある時ある場所」を読んだのは、1958年秋だった。その初版を書店で買った。私は一読、異常なほどの感動をうけた。そして61年春、男声合唱曲「ビジョン」を作曲、67年春、同じく男声合唱曲「黙示」を発表した。もちろん、いずれもこの詩集の詩である。
1969年、関屋晋君の指揮する「甍」(早大学院グリー・クラブ、早大コール・フリューゲル及びいらか会合唱団の三団体の組織する会)の依頼で、この「鎮魂歌」を作曲した。同年8月11日、第8回甍演奏会の「清水脩の男声合唱を歌う」で、同君が指揮して初演された。曲の内容については、多くを語る必要がないと思う。木原孝一氏は、事故で頭の働きがとまった実弟を空襲でなくされたその悲しさを、時の動きと二重写しに、戦争の罪悪をあばき、にくみ、そして強烈な反戦意識に高めてうたいあげた。そこには悲痛な叫びと、ヒューマンな昂揚とが、交互に写し出されるスクリーンの奥にきざみつけられている。私はその深く掘りさげられた詩情を、果してまちがいなく音化できたかどうか、今になっても不安である。ただ、演奏者の解釈と表現に任すほかはないと思うばかりである。
以上は最近出版された楽譜に付した解説にやや加筆したものである。私が言っておきたかったのはこれでつきているが、慶応ワグネル・ソサィエティ男声合唱団が、畑中良輔氏のバトンで演奏されるに当って、もう少し書いておきたいと思う。
ここ数年、私の中に或種の変動が起っている。どういう変動か、それを説明するのは困難である。思想的に、技法的に、そして音楽に対する考え方に、変動がおこっているのである。説明はできないが、私の作品群はその変動の過程を映している。とくに、合唱曲では「黙示」や「鎮魂歌」、オペラでは最近作の「大仏開眼」は、その道程に落してきた一つ一つの果実である。私は無意味に振りかえる事が好きでない。従って落してきた果実がどのようなものか、私には説明できない。それを拾ってくれる人たちの、いわば勝手な判断にまかせるほかはない。
ある人はつまらぬ果実、未熟の果実というかも知れないし、またある人は見事な、よく成熟した果実と讃めてくれるかも知れない。だが、私にとってはどちらでもよい事で、私はいつでも前を向いて歩き続けるばかりである。充実した生活はそういう姿勢にしか見出せない。のみならず、立ちどまることさえ、いとわしいのである。「鎮魂歌」のなかに、そのような私の姿勢があるはずである。もし私が希望するとすれば「鎮魂歌」をうたう人たち、「鎮魂歌」をきく人たちに、この姿勢を見つけてほしいということだ。そしてもし見つけてくれたとすれば、その時の感想や意見をききたいと思う。昨年の夏以後、この曲をきいていない。こんどの演奏で、どのように実現されるか楽しみである。(11月20日)
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編曲者・福永 陽一郎
「ポギーとベス」組曲について
「ポギーとベス」は戦争が終った次の次の年、帝劇でアメリカ軍のコンサートがあった時、やはり、名曲集のかたちで演奏されたのにオーケストラの一員として参加して以来、私をとらえて離さない音楽である。20年以上も前に、合唱曲としての「サマー・タイム」が私のレパートリーにはいり、以後、自分の中で育てたものを、1956年に第一番目の組曲として編成し、発表した。それはバリトン独唱をふくむ男声合唱用のものだった。それから数年たって、青の会(畑中良輔門下)のメンバーでキャストを組み、男声合唱とピアノ二台による伴奏で、ほぼ全曲を一晩の動作つきコンサート用につくったものがある。これは日本語で上演したため、全曲にわたる訳詞も安田二郎が(つまり自分で)やった。これはもはや組曲ではないが、編曲としては二番目のものである。その次に、ソプラノ独唱と男声合唱による第三組曲を、東京コラリアーズの演奏旅行用に書いている。
今回、ワグネルで使用しているものは、最終決定版をつくろうとして、ソプラノとバリトンの独唱をともなったものとして四度目にとり組んだもので、1965年に書かれ、未完成のまま、東海メール・クワイアを自分で指揮して上演したそっくりそのままである。いまだに完成していないのだが、完成すると上演時間一時間を要するので、実用向としては、いまの形でもよいと考えている。云うまでもなく、主要な音楽ナンバーはすべてはいっている。あとつけ加えるとすれば、それは音楽よりもドラマに重心がかたむいた部分である。
瀬山詠子君と築地利三郎君は、全曲演奏のときのベスとポギーで、いわばオリジナル・キャストである。ただし、組曲では、瀬山君はベスのほか、クララとセレナの三役をうたうことになる。畑中教授は、全曲演奏のとき「語り役」として出演し、この曲はすでに、なじみ深いはずで、実際の演奏に際しての外面は、私や北村協一とはずいぶんことなったものであるが、本質をそこねていない点では、まぎらわしさが一切ないので、さすがだと感心している。ただしワグネルの諸君は、春期の演奏ではリズムに乗ると、オン・ビートになる人が多く、あと一歩の工夫と努力が望ましいと思った。
元来、ガーシュウィンのこのオペラは、黒人音楽のイディオムと、ブラームス風の内面的ロマンティシズムの技法が同居しているもので、ある意味では畑中教授の体質とよく溶合しあう種類の音楽であるはず。定演では、これは軽いほうのステージになるのだと思うが単なるポピュラー・ミュージックとは違うし、ワグネルの諸君もなかなか大変だと同情もしている。
こうして私の「ポギー‥‥」も歩を重ねて、いつかは完成の境地に至るかも知れない。その一段階を確実に昇られてくれた諸君に心より感謝する。
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