1964年1月
| 18日 | (土) | 東京厚生年金会館 |
| 19日 | (日) | 東京厚生年金会館 |
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- 木下指揮 J.S.Bach Choräle
- 学生指揮 イタリア・ルネサンス世俗合唱曲集
- 畑中指揮 オーヴェルニュの歌
- 木下指揮 男声合唱のためのコンポジション
- 畑中指揮 Richard Wagner 生誕150周年を記念して
- アンコール
先生の言葉 木下・畑中(1)・畑中(2)・大久保
作詩作曲編曲者より 間宮・北村
慶應義塾塾歌
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第1ステージ
J.S.Bach Choräle
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- O Haupt voll Blut und Wunden
von St.Matthäus-Passion 《おお、血潮したたる主の御頭》
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- Ach wie Flüchtig, ach wie Nichtig
von Kirchenkantate 26 《いかにはかなく、いかにむなしき》
モデム版
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- Wachet auf, ruft uns die Stimme
von Kirchenkantate 140 《覚めよと呼ぶ声あり》
モデム版
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- Wohl mir, dass ich Jesum habe
von Kirchenkantate 147 《幸なるかな、我れイエスを信ず》
モデム版
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- Trotz dem Alten Drachen
von Motette “Jesu, meine Freude” 《恐るるなかれ》
モデム版
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- 編曲 B.Treharne・C.D.Dawe
- 指揮 木下 保
- ピアノ 井上直幸
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第2ステージ
イタリア・ルネサンス世俗合唱曲集
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- Tutti venite armati 《集いて来れ、武装して》
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- A Lieta vita 《幸ある日々》
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- Il belhumore 《上きげん》
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- Intermedio di solfanari 《恋の火遊び》
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- Nu semmo tri duttur 《三人の博士》
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- Io son bella 《私は美人》
モデム版
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- Eccho 《こだま》
モデム版
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- Matona mia cara 《私の大切なひと》
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第3ステージ
オーヴェルニュの歌《Chants d'Auvergne》
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- バイレロ 《Baïléro》
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- シュッ シュッ 《Chut, Chut》
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- 子守唄 《Brezaïrola》
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- 郭公 《Lou Coucut》
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- 野原を行く 《Passo Per Prat》
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第4ステージ
男声合唱のためのコンポジション(本年度委嘱作品)
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- 艫
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- 羯皷(かっこ)
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- 引き念仏
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第5ステージ
Richard Wagner 生誕150周年を記念して
- Chor der Älteren Pilger
von “Tannhäuser”
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- Chor der Norwegischen Matrosen und
Chor der Mannschaft des fliegenden Holländers
von “Der fliegenden Holländer”
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- 作曲 R.Wagner
- 指揮 畑中良輔
- ピアノ 井上直幸・熊谷 洋
- 独唱 平野忠彦
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アンコール
- 江戸子守唄
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- ブラームスの子守唄
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- Ave verum
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顧問指揮者・木下 保
間宮芳生さんの新作品を指揮するに当って
男声合唱のためのコンポジションが出来上って、直ちに勉強にとりかかった次第ではあるが、此の曲なら我々なりに或る程度の演奏が出来、作曲者にも余り失礼にあたらないであろう自信めいたものが得られて、実はホッとした。
然し演奏する慶應ワグネルソサィエティと言う団体は、言うまでもなくアマチュア学生団体である。勿論各自は音楽の基礎修練を経て来た者とてなく、これからも受ける必要はなく、又そんな余裕があろう筈はない。どこまでも学業の余暇に出来得る限りのことをするより仕方のない団体である。もっと極論をするなら、アマチュア学生団体が、作曲者としての生命をかけ、心血を注いで書いた素晴しい傑作を初演するなどと言うことは、自惚れもいいところに違いないし、大冒険とも言える。プロ団体ならいざ知らず、アマチュア団体がそんな冒険を敢えてする必要はないし、義務もない。斯んなことを言い出すと、如何にも演奏結果の予防線でも張って居るように取られるし、卑怯にも聞こえる。
以上述べたような事柄は百も承知で、此度間宮さんが慶應ボーイを信じて初演を任されたのである。
信じられまかされた以上、人の善意に勇むことを知る我々知識人として自負する者共は、事情の許す限り、誠心誠意良い演奏の出来得る体制を整えて邁進しなければならない。
幸なことに慶應ワグネルの面々は、真摯な態度と若さと情熱に溢れて居る。而も我々先祖伝来の「心のふるさと」を歌った歌を歌い上げるのである。
心ある聴衆の皆さんの魂をゆさぶって見たい。
否、絶対に感銘と感動へ誘はなければならないと思って居る。
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専任指揮者・畑中 良輔
オーヴェルニュの歌
古い火山帯にかこまれた肥沃な土地いっぱいの高原――フランスの中央から少し南のこの澄んだ空気の中で、これらの古い民謡は歌われて来た。
中世の偉大な哲人パスカルはこのオーヴェルニュの産であり、フランスの古代で最も栄えていたケルト民族のなごりはオーヴェルニュ地方に最もよく残っているといわれている。このケルト語の名残りをとどめたこれらオーヴェルニュ地方の無数の美しい民謡は従って、フランスの民謡とは性格を異にしているが、その素朴で清澄な旋律、リズムのおもしろさ等に於て、一段とすぐれた内容を持っている。
このオーヴェルニュ地方の民謡を世界的にしたのが、カントルーブ(J.Canteloube 1879〜1957)で、彼はオーヴェルニュの西南端のアノネーに生れた。1924年にコンセール・コロンヌの演奏会で発表されたオーケストラ伴奏の「オーヴェルニュの歌」はパリといわず、全ヨーロッパにセンセーションをまき起した。この好評に応えて、カントルーブは1930年までに合計四巻の「オーヴェルニュの歌」を発表した。
- 「バイレロ」Baïléro
- 羊飼いの歌である。高原の爽やかな微風を想わせる夏のひととき。牧歌風なメロディが郷愁を呼ぶ。
- 「シュッ シュッ」Chut, Chut
- おもしろいリズムと洒落たメロディで如何にも楽しい。三拍子と二拍子が交代であらわれている。
- 「子守唄」Brezaïrola
- このやさしい気持ちに溢れた素朴なメロディは、誰の心にもあたたかい灯をともしてくれるだろう。美しい転調を含んでいる。
- 「郭公」Lou Coucut
- カッコウの声を背景に、軽快な歌が繰りひろげられる。誰でもが歌いたくなるような楽しいメロディだ。
- 「野原を行く」Passo Per Prat
- 素朴な中の野性味と抒情が交互に現われる。力強いロロロロの呼び声は“荒々しく”と指定されている。
今夕はこの五曲を選び、清水脩先生に男声合唱曲に編曲を御願いした。「オーヴェルニュの歌」をワグネルで歌って貰いたいとかねがね私は想っていたのだが、やっとその願いが叶ったというわけである。なお、詩はケルト後に近いフランス語で非常に難解のため、私達の訳詞仲間である若き女流文学者中山知子さんに御願いして、名訳を得た。
お聴きになって「いい曲だなあ」と思われたら、この「オーヴェルニュの歌」をどんどん歌っていただきたい。今後もこの五曲にとどまらず、更に曲をふやして行きたいと考えている。
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ワーグナーとワグネルと曲のこと
1963年は、リヒアルト・ワーグナーの生誕150年に当る年だった。この記念すべき年に、この楽聖の名をいただいているワグネル・ソサィエティ男声合唱団として、ワーグナーの作品を取り上げるのは、当然の義務でもあり、果たさねばならぬ課題でもあった。この年の定期演奏会は、毎年のように12月の初旬に行われる予定であったが、私の都合がどうしてもつかぬために、この年度の演奏会を1月に延していただいたのである。
この段階で、ワーグナーの作品、殊に「さまよえるオランダ人」を演奏するのは、いささか意余って力足りずではないかとも考えた。我国で今迄、何度となくこの「さまよえるオランダ人」も上演を考えられて来たのに、未だにそれが実現しないのは、この三幕の冒頭のコーラスの、余りにも複雑で、演奏困難の故であったのだ。専門家でさえ投げ出し兼ねない子の合唱の個所に、私は何とかして打つ突ってみたかった。これを原曲通りにやるには、中間部の女声合唱が必要なので、それも一応考えてみた。
何ヶ月かこの「オランダ人」の合唱の個所を、ああでもない、こうでもないと、くっつけたり、カットしてみたり、いろいろ試みた結果、今晩おきかせするような結果におちついた。
さて、練習を始めてみると、一応は予想していたものの、ワーグナーの物凄いエネルギーに、一同ヘトヘトになってしまった。時間的には短いのだが、一回歌い通すと、皆立っていられない位クラクラして来て、坐り込んでしまいたくなる。その上トップ・テノールは、常にFやGのチェンジ区域の個所を行ったり来たりで、これがいっそ、もっと高ければその方が遥かに楽なのに、この声域転換の換声区に当る所ばかりで、強烈なスピントを要求されるのだから、余程のヴォイス・テクニックがないとノドをつぶしてしまう。連日猛練習をしていたら、演奏会の当日にはカサカサ声になってしまうであろう。練習日程の組み方から考えねばならなかった。その上ダーラントの船とオランダ人の船との二重合唱なのだから、人数の上でも、今回は特にOBの人達の出演を御願いしなくてはならなかった。
一旦、社会人となると、定時刻に練習に集るのは大変困難なことである。しかしワグネルがワーグナーをやるのだから、何とかしても良い演奏がしたい。ワーグナーの片鱗でもいいから、このステージを表現したい。
今は、ただこのことばかり頭にあって、日夜ワーグナーの他の作品の研究も始めた。
ワーグナーとワグネル。同じ人物の名だけれど、Wagner を、どのように呼んでも良いであろう。
・
ワーグナーの音楽の根本理念の一つに、「救済の思想」Erlösunggedanken というものがある。「さまよえるオランダ人」にしても「タンホイザー」にしても、「魂の救済」と云う点にワーグナーの凡てが賭けられているといってもよい。「さまよえるオランダ人」は、清純な乙女ゼンタの貞潔なる心と献身により救済がなされ、タンホイザーは、エリーザベトの犠牲死によって、その魂を解放出来るのである。
ワーグナーの信じた「愛」の尊厳と絶対は、肉体を超越して、神の世界を啓示する。愛とは、人間を官能の渦にひき込んで、盲目にすることではなく、常に人間を浄化し、昇華するものでなければならない。このワーグナーの理念は、私達が「タンホイザー」の巡礼の合唱を歌う時、これは言葉でなく、音楽として如実に体験出来ることではあるまいか。
「巡礼の合唱」には、人間の精神のたゆまざる苦行の果てのよろこびが、崇高に歌われている。この巡礼たちは、今、苦行を終えて、ローマから長い旅路を一歩一歩ふみしめながら、贖罪を念じつつ帰って来たのである。この故郷 Heimat は、彼等のみならず、我々人間凡ての心の帰るべき Heimat であり、この合唱のテーマが、冒頭の序曲から既に、ハッキリ打ち出されているのである。
精神と肉との闘いは、人間にとって永遠に解決し難い問題なのかもしれない。しかし、この「タンホイザー」の序曲に於ける「巡礼の合唱」のテーマと、官能の世界「ヴェヌスベルク」のテーマとの対立の呈示、そしてこの「歓楽の動機」や「ヴェヌスの讃歌」はいつしか巡礼の合唱によって消されてしまう。ユリウス・カップは次のように書いている。
「巡礼者の合唱が贖罪によってえる救済を予告する。合唱が終るとヴェーヌスベルクが展開する。タンホイザーが愛の歌をうたう。彼をめぐって魅惑の輪舞がつづけられ、しだいにはなやかになる。ヴェーヌスが現れ、彼をとりこにする。バッカス的狂宴が始まり、タンホイザーは美の女神の腕に沈む。嵐がおこり、妖気が流れてゆく。これが遠くでは嘆きの歌のようにきこえる。遠くから巡礼の合唱がきこえ始め、初めの空気のおののきもしだいに喜びをおびてくる。巡礼の合唱はたかまり、力強くなる」(渡辺護訳)
そしてこの巡礼の合唱が出て来るのは第三幕の始め、秋も深まった頃、ワルトブルク山麓のマリアの像の前でエリーザベトは跪いて祈っている。そこへヴォルフラムが現われて、エリーザベトをみつけ、彼女の真心に深く打たれ「ここで彼女が祈りをささげているだろうと思った」としずかにモノローグ風な歌を歌い始める。そしてやがてかすかに巡礼の合唱が遠くからひびいて来る。しかしその巡礼の合唱の中には、エリーザベトの待つタンホイザーはいないのである。
「タンホイザー」の中核をなす、この「巡礼の合唱」も、異名同音的転調の連続で高度の歌唱技術を要求している。
「さまよえるオランダ人」は、「タンホイザー」の前作に当る。この二つのオペラは、ワーグナーの創始した「楽劇」のなをつけられてはいない。そして「オランダ人」は、まだそれ迄のオペラの作曲様式を踏襲して、各曲番号つきの「ナンバー・オペラ」である。然し、既に、ワーグナーの創始になる「ライト・モチーフ」は使用されて、楽劇の第一歩はここにあると云えよう。
1841年7月13日、彼は総譜の最後の頁にこう書き記している。
「闇夜、困窮のなかに。茨の道を通りて栄光の世界へ。神よ。それを恵みたまえ」
・
「タンホイザー」の序曲に於て、その内容が説明されているように、この「オランダ人」に於ても序曲に於て、二つの重要な動機が呈示されて、物語を暗示している。
先づ最初には「オランダ人の動機」即ち「呪いの動機」であり、もう一つはゼンタの「救済の動機」で、この二つはたえず交互にあらわれて来る。
この呪われた「オランダ人」は永久に海の上をさまよっていなければならない。海に身を投げても、暗礁に乗り上げても、彼は死ぬことを許されない。ただ7年目に一度ずつ上陸を許されている。そして彼のために生涯の貞節を誓う女性が現われる時、彼は救われるのである。
この「水夫の合唱」は第三幕の始めに歌われるもので、前景のわきにノールウェー人の船長ダーラントの家があり、背後に燈火をつけたノールウェー人の船と、無気味にしずまりかえったオランダ人の船がある。
幕があくと、ノールウェーの水夫たちの合唱が景気がいい。飲めや歌えやと騒いでいるが、オランダ人の船は異様にしずかである。そのうち風が吹き始め、波が高くなると、オランダ人の船の中から「呪いの動機」に始まる歌がきこえて来る。ノルウェーの船の方は気味悪がって、あれは幽霊ではないかとおびえ、景気づけに「水夫の歌」を歌おうとするが、不気味なオランダ人の船の合唱が次第に大きくなり、笑声となり、一瞬姿を消す。オーケストラで、オランダ人の「呪いの動機」がぽっつり奏された後、ゼンタの「救済の動機」が少し顔を出す。
全曲通じて圧倒的なヴォリュームを要求する個所である。
本夕はピアノ二台にしてもらって、なんとかオーケストラのヴォリュームに近く、と念じてはいるが、激しい嵐の情景は、オーケストラの各楽器の音色に依存しているので、なかなかむづかしい。
しかしワグネル男声合唱団はワーグナーのこの二つのオペラの中の男声合唱の部分を精神こめて、声の凡てを使って歌うだろう。私はステージの出来栄え云々よりも、ワグネリアンの一人一人が、このワーグナーの理念としたところを深く感じとって欲しいと思っている。
そして、この私達の「おもい」が本夕来て下さった聴衆の方々の心に、何らかの形で伝わって行くように祈らずにはいられない。
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ヴォイストレーナー・大久保 昭男
ワグネルの諸君へ
音楽的に厳しい練習の中で、ワグネルの皆さんは、楽しさと喜びに満ち、またある時は、悲しくつらい思いで、この一年間歌って来ましたが、そのすべてを発揮する時がまたやってきました。
毎年、卒業生が出て行ってしまった後、あらゆる意味での淋しさ、不安さを何回も感じながらも、新しい若い芽が大きく立派にのびて、又大きな気持ちで、心と身体から一ぱい歌える事は、大学の合唱の本当の喜びと云えましょう。
ワグネルの皆さんも、今までに沢山の作曲家のものを演奏してきましたが、今年はワグナーものもある事です。特に声そのものが何と云っても大切なものとなりましょう。ひとり一人が発声の基礎技術に精進し、力強い声を音楽的に出せるように努力してきました。発声法はどんなに大切であり、どんなにむつかしい事なのでしょう。歌をやっている人なら誰でも口にし考えることです。特に合唱の場合、作品によって如何に音色を変えて演奏しなければならないかということをワグネルの皆さんも経験し、勉強してきている筈です。私が歌い始めた頃に、どんな作品も、殆んど同じ声で平然と合唱していたことが多かったのを今になって思い浮かべる時、いかに大きく合唱が進歩し、その一人一人が音色を意識し楽しさと自信をもって演奏し得る幸せを持ったことでしょう。深い美しい声を聞いた時、それがどんなに小さな音譜であったにしても、必ず何かを心に感ずるものです。
私は色々の曲を合唱するとき、その作品の一番大切なものを表現出来る音色に少しでも近い声が出るように努力し、苦労することは、大学の高度の合唱に、また、私達歌う者にとっても本当に大切なことであり、素晴しいことであると思います。
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間宮 芳生
僕の曲
この曲は、1958年に書いた「混声合唱のためのコンポジション」、それに、1962年の「混声合唱と打楽器のためのコンポジション」につづく、僕の合唱音楽作品の系列の第三番目のものと考えて下さってよいわけです。
ただ前の二つに比べて、異る点がいくつかあるのです。第一には、前の二つが、プロ合唱団のために書かれたのとちがって、この曲は慶應ワグネルの依頼で作曲したものであり、その点はじめから、アマチュアの合唱団によって歌われることを前提に書き始めたわけです。ただ、結果から言えば、書いていて、そのことのための制約は、あまり強く感じなかったように思います。もちろんぼくとしてはこの曲がプロ合唱団のレパートリーにとり上げられることも大いにかんげいしたい気持ちでおります。「コンポジション」三曲とも、日本の民謡の中に素材を得ているばかりでなく、たとえば、はじめの第一声から、これまでの洋楽の発声でうたったのでは、どうにもならないようなことを要求しているわけで、その点では、アマチュアたると、プロたるとをとわず、同じように、難題をもちかけているわけなのです。ワグネルのみんなが、このぼくのふっかけた難題にどうたち向かってくれるか、大へんたのしみなわけです。
第二の相違点は、この曲では、三つの楽章とも、それぞれ素材になっている民謡とのつながりが、前の二つのコンポジションに比べてより一層緊密であると言うことです。
ここで、素材になった民謡について少しふれておくことにします。
第一曲の「艫」では、秋田の「艫押の唄」と同じ地方の「網起しの唄」の二つの唄がくみ合わされました。第二曲「カッコ」では、東京都下の小河内の神事舞の芸能が用いられました。又第三曲の引き念仏は、岩手のある地方の芸能「念仏劒舞」の中の「引き念仏」によっています。又この第三曲で用いられている、ハヤシコトバは、芸能の伝承の際の一般的な習慣として、太鼓などのリズムを覚えるためのうた――又はとなえごと(口唱歌(クチショウガ)といわれている。)をもとにしたものです。それぞれのシラブルは、たとえば、ドは太鼓をうつ、スは休止など、特定の意味を持っていて、太鼓のリズムなどを覚えるためになかなか合理性もあり便利にできているのに感心させられます。
ここに、労働と関連した、又踊りにともなった、又信仰とかかわる、さまざまなうたの発想のタイプが現れているわけです。これらは、もちろん、最も素朴な、音楽の契機をなすものとして、又民族的な音楽の発想の基礎的なものとして、ぼくがこれまでも、見つめつづけて来たものですが、この種の仕事はやる程に、いろいろな課題が見つかって来るようです。これからも、この種の仕事はずっと続けて行きたいと考えているわけです。
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北村 協一
ワグネルと私
以前私はよく、ワグネルの連中といる時、人から“貴方は慶應を何年に卒業したのですか”と聞かれることがあった。だが“関学経済29年卒です”の答に、その人の顔にちらっと失望の影が走るのをみると、何か悪いことを言ったのかという気持によくさせられた。実際自分でも時折、慶應を出たのかな?てな気分になることがある。ワグネルという団体は私に、学生時代そこで唱ったような錯覚を起させる合唱団だ。
関学を、というよりグリーを卒業して10年、そのうち9年間もワグネルと付合い、遊び、唱い、時には喧嘩もしてきたのだから、自分もワグネルだと思っても仕方ないかも知れない。特に畑中先生が専任指揮者になられてから、男声合唱団との交流は一段と親しさをましたと言っていいだろう。普段の練習はもとより、合宿に編曲に定期のプロに私が顔を出さなかったことはないといっていいだろう。日頃からこうなのだから、実際のOBよりOB面をしている自分にしばしば驚く。
こんなに親しくなったのは結局ワグネルの連中がいい奴だからだ。音楽に対する真面目さも私をワグネルにひきつける。彼らが音楽にくっついてゆく時の目ほど美しいものはない。そしてそれが音となって出てくる時彼らの合唱は素晴しいものになる。今日ワグネルが優れた合唱を演奏するのはその姿勢の正しさにあるのではなかろうか。
近頃、よくアマチュアでもプロでも音楽に対する厳しさは何ら変るところがないといわれているが、常に厳しくあることは至難な事である。毎日の練習にそれを求めてこそ今日の演奏があるのだ、ということを忘れないで欲しいものだ。ややもすると自分を忘れて走ろうとする近頃の雰囲気の中で、しっかりと自分を見つめて音楽する学生ほど好ましいものはないと思う。
一昔前から親しくワグネルと付合ってる私のささやかなる不満といえば、最近団員の中に所謂独立自尊の校風を違った意味にとっている人がいるようだ。学生合唱団としては、あれ程いい音楽をするワグネルなのに、ワグネルに対する個人としての意識・責任感もしくは愛団意識とも申すべきものが少々たりない感がしなくもない。何処といって指摘は出来ないが、日頃の言動に時にふれて感じられる。今少し深くワグネルを自分達のものとして誇りと愛着をもってもよいのではなかろうか。これは私の単なるグチにすぎないのかも知れない。
でもとにかくワグネルとは妙に切れない関係にあるようです。今夜もきっと素晴しい感動に導いてくれるでしょう。私の大好きなワグネルです。音楽を通じて、今一層親しくありたいと思ってます。
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