086回
演奏者

 第86回定期演奏会 

1961年12月
16日(土) 東京厚生年金会館
17日(日) 東京厚生年金会館
20日(水) 名古屋市公会堂
21日(木) 大阪産経ホール


演奏曲目  試聴可 
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  1. 木下指揮 Missa Mater Patris
  2. 畑中指揮 草野心平の詩から
  3. 畑中指揮 Tosti名曲集
  4. 学生指揮 蛙の歌
  5. 畑中指揮 Zigeuner Lieder
  6.      アンコール

先生の言葉 木下畑中(1)畑中(2)大久保
作詩作曲編曲者より 皆川多田北村福永

 PROGRAM 

慶應義塾塾歌
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第1ステージ
Missa Mater Patris

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  1. Kyrie
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  2. Gloria
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  3. Credo
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  4. Sanctus
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  5. Benedictus
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  6. Agnus Dei
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第2ステージ
組曲 草野心平の詩から

(ワグネル・ソサィエティー男声合唱団の為に)
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  1. 石家荘にて
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  3. 金魚
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  5. さくら散る
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第3ステージ
Tosti名曲集

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  1. Aprile
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  2. Addio !
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  3. Ideale
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  4. A Sera
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  5. L'Ultima Canzone
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第4ステージ
組曲 蛙の歌

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  1. 小曲
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  2. 亡霊
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  3. 鰻と蛙
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  4. 蛇祭り行進
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  5. 秋の夜の会話
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第5ステージ
Zigeuner Lieder
《ジプシーの歌》
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  1. He! Zigeuner!  《へい! ジプシー!》
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  2. Hochgetürmte Rima-flut  《その名も高きリマの流れよ》
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  3. Himmelgabes Liebe  《授った恋人》
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  4. Einst ein Küsschen gab  《唯一度の接吻を》
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  5. Der Tanz  《踊り》
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  6. Ledig bleiben Sünde wär!  《独身でいるのは罪悪だろう!》
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  7. Heiligem Eide  《聖き誓い》
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  8. Abendwolken  《夕雲》
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アンコール
  1. アヴェ・ヴェルム・コルプス
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  2. 夕やけ小やけ
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  3. Poor Lonesome Cowboy
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  4. 希望(のぞみ)の島
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 先生の言葉 
顧問指揮者・木下 保
ミサ・マーテル・パートリスの演奏に当って

 宗教曲にも色々のジャンルがあり、之れ等を時代的に区分し、整理して説明する事は大変な業であります。此の稿では学問的に、或は学理的に話すことも筋違いであろうと思いますから、一切さけたいと存じます。
 作者ジョスカン・デ・プレは15世紀から16世紀にかけて数多くの宗教曲を残しました。そしてマーテル・パートリスはそれらの中で名作とされて居ります。
 云うまでもなくワグネル男声合唱団は、専門的に中世宗教曲を研究する団体ではないのでありますし、演奏会場は教会でなし、声楽の技術的な能力進歩の度合いは中世期のそれとは比較すべくもありません。其の上に年齢差のない100名そこそこの若人の団体であっては、演奏スタイルも演奏効果も当然独特なものであって然るべきだと信じて居ります。
 30分になんなんとする全楽章の各楽章は、殆んど同じモティーフに依ってうたわれるのですが、発声法と唱歌法を駆使して、それぞれの変化を表現することは、或いは至難の業とも思えないではありませんが、そこは真摯な態度と若人の情熱によって十二分に歌い上げるように努力し、勉強すること自体が我々の使命でありますから、出来得る限りの良い演奏をして、皆さんの期待に答えるべく一同張り切って居る次第であります。  

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専任指揮者・畑中 良輔
本夕に寄せて

 この度ワグネル男声合唱団は全くデラックスな合宿を迎えた。声楽家二人に指揮者一人と云う強力なスタッフで、練習にはげんだのであった。小生発声練習をしている間、他のパートは大久保昭男君がイタリー語の発音を正したり、北村協一君がパート練習までしてくれたりして、予想以上に難曲が短時日でまとまって来たのだった。
 予想以上の粗食(!)だったけれど、きれいな空気と、規則正しく寝起きさせていただいたおかげで、やせもせず、心身爽快で帰る事が出来た。
 今年は多田氏の熱のこもった新作、そして協一君の意欲的なアレンジでトスティ、ブラームスでガッチリと、変化の多い僕のステージを組んでみた。
 トスティの曲では、イタリー語にのせて、団員の発声がよりのびやかになれば良いと思うし、ブラームスでは、その声を使って、フルに「声」というものを建築してみたいのである。  

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すぎしものへ
 その夜も、私は北支の茫莫たる平野の只中に置かれていた。その数日、私達は貨車の中につめこまれ、北支から中支へと南下をつづけていたのだ。
 月が単調なくりかえしを空で続け、私達は無感動にそれを眺めた。平野には山もなく、音もなく、ただ無表情な土ばかりが月の光を鋭くはね返していた。この平野の中に取り残された小さな町は、死んだもののようであった。土で造られたどの家もが、歌を忘れてしまったもののように冷えきって私達を迎えた。私達は鉄砲を肩から降ろし、誰も何も云わず、土蔵の片隅に睡りこけた。死の町は深く沈んでゆくもののようだった。

×   ×   ×

 十数年前、ぼくを過ぎ去ったこの風景を、ぼくは完全に忘れていた。この夏、本栖湖で多田氏のこの新作の練習にとりかかり、第一曲「石家荘にて」を音にした時、ぼくの心の中に突然この風景が甦った。それは全くの唐突の激しさでぼくを襲い、もう二度とぼくの人生に、あの兵隊の悲しい日々は繰り返さなかった筈だったのに、多田氏のこの曲はぼくに、失われた日々を感動的に喚び起こしてくれた。

十文字愛憎の底にして  石家荘  沈みゆくなり

 パセティックなハ短調でこの部分がひびいた時、ぼくは心の中にしずかないたみと激動が交錯するのを覚えた。
 ぼくの心の中にあるパトスの世界が、今晩この曲の中に充ち溢れるに違いない。それはぼくの失われた日のための挽歌であるかもしれない。そして、この曲をワグネルのために(そしてぼくのためにも)書いて下さった多田氏に深い感謝を捧げずにはいられない。  

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ヴォイストレーナー・大久保 昭男
 小さいときは毎月がとても長く感じたものだったが、年をとる? いや大きくなると、次第に短くなるのは誰でも同じことでしょう。短いどころか、あっ!と云う間に過ぎて行ってしまう。つい先日の様に思えるこの夏のワグネルの合宿、私は初めてでこんな事を云うと叱られるかも知れないが、正直なところ大学の合宿と云うものは、一日の中、半分くらい練習で後は遊び、と云うようなスタイルだと考えていました。ところがびっくり、朝は7時起床、全員体操から始まって晩も練習、食事時間の休みだけで、全く感心とびっくりのあいの子でした。しかし本栖湖の辺は人も少なく、第一に空気がとても美味しくて(食事は一寸別です)不思議に疲れず、二、三日目にはすっかり馴れて楽しくなりました。ワグネルの諸君の発声も目に見えて進歩し、この調子だとやがてはとてもいい結果になって出て来そうな、大きな楽しみが出てきました。そうして台風やらと云っている中に今はもう冬。その楽しみが現れる日が、もう急いでやってきてしまいました。音楽会と云うものは、たくさん演奏される曲目の中で、そのいくつかが本当の輝きを出して、聞く人の心を打てば、それだけで私は充分だと思っています。物事はすべてそうですが、音楽の仕事、合唱の仕事は特に時間のかかるものだし、またかけなければいい輝きは決してでてこないものだと私は信じています。どうぞこれからもワグネルの諸君は、一人々々が健康な音楽家として、力いっぱい頑張って下さい。
 今夜の音楽会もまたより以上の輝きが出ます様に祈ります。  

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 作詩・作曲・編曲者より 

皆川 達夫
日本に於けるミサの演奏

 最近のわが国の合唱界では、演奏会のプログラムの中に宗教合唱曲をとりあげるのが、一つの流行のようになってきています。
 これはある面から申せば意味のないファッションのようですが、ある面からいえば好ましい傾向ともいえそうです。
 と申しますのは、こうした宗教合唱曲―とくに16、17世紀の古いポリフォニー合唱曲は、合唱音楽というものの本質とその喜びを教えてくれるからであります。量の増大の時代が終って、質の向上の時代に入ったわが国の合唱界は、こうした古いポリフォニー宗教合唱曲をジックリかみしめることによって、さらに大きな飛躍をとげようとしているのであります。
 ワグネルソサィエティー男声合唱団が、このたび、16世紀のジョスカン・デ・プレのミサ曲をとりあげたのも今までになかった新しい表現分野を開拓し、いやが上にも実力を高めてゆこうという真摯な意図から出発しているのでありましょう。ただこのように古い歴史的な作品を演奏するためには、ただ近代の音楽の様式をおしつけていっても駄目であります。バッハやベートーベンの音楽のようなつもりで、ジョスカンの作品を演奏したところで、それはこの音楽の持つ特有な世界を破壊するだけに終ってしまうでしょう。古い時代の音楽 ―これはバロック時代の器楽の場合にもあてはまりますが― を演奏する人は、演奏家であると同時に、音楽史や、一般文化史の広い教養が要求されます。〈ただ、歌えば……〉というのではなく、教養ある学生らしい態度で、あらゆる角度からみて申し分のないジョスカン・デ・プレの演奏をきかせてくださることを楽しみに期待しております。   

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多田 武彦
組曲「草野心平の詩から」について

 昨年、私は合唱コンクール課題曲の入選作の他に男声合唱組曲を四つ作曲した。そのうち一つを除いては何れも夫々委嘱団体の技術的水準を考えて作ったり、個性に合わして作ったりした。ところが組曲そのものの価値は私の処女作「柳河風俗詩」よりずっと秀れたものであると自負出来るのだが、私の組曲の行き先に関心を示してくれている人の一人である福永陽一郎氏などは「もし作曲家気質というものがあるなら、そうした個性や技術的水準を無視しても書きたいものを書くべきだった」と忠告して呉れた。やはりその通りで、その三つの団体にとってもいくらか物足りなかったり、初演の批評も「柳河風俗詩」や「雪と花火」や「中勘助の詩から」や「雪明りの路」の時の様な好評を得ることが出来なかった。
 今年に入って、私の作曲態度は、こうした結果や助言と自分なりの反省から始まったと云ってもよい。結局、QRから依頼の「小学生の詩による組曲」、「KRからの依頼による芸術祭参加作品」、「信濃の民話による三つのバラード」、上智大グリーに書いた松前追分などを含む「海辺の日本民謡」等と並んで、この「草野心平の詩から」が出来た。何れも書きたいと思って書いたものばかりである。

×   ×   ×

 この組曲は最初、詩集「天」から数篇をとって、スケールのばかでかいものにしようと思った。ところが、組曲としての起承転結がどうしてもまとまらない。そうこうするうちに「天」以外の詩集にまで目を通して行くに従ってこの観念的抒情詩人といわれる草野心平の詩の中の非常に幻想的絵画的な一連の詩を拾うことが出来た。そこでこれをI、III、Vに配し、II、IVは強く明るくスケールの大きいものにして組曲を組むことが出来た。
  1. 「石家荘にて」は、詩人が北支石家荘に立った時、その地の月蛾(遊女)を中心に描いたもので茫莫とした平野の中の都会の中の遊女の姿が異様なまでに寂しく美しく想像される。
  2. 「天」は詩人特有の筆法で描いたもの。「五センチの富士」、「青ブリキ」等の表現は奇抜な中にも、この詩人の個性が躍動している。
  3. 「金魚」。作曲するに当って、私はこの詩に心酔し切っていた。青みどろの中の金魚を眺めているといつの間にかそれが支那火事のように見える。そしてその支那火事は、と想像した私の背中にふと快よい戦慄が走った。何という見事な表現だろうと思った。この詩一つが、私にこの組曲を作らせたといっても過言でない。
  4. 「雨」気楽に読み流せる詩であった。言葉の烈しさやスケールの大きさが気にならない程日本的な情趣に満ちた湯治場の雨の風景であった。
  5. 「さくら散る」この詩は本来なら終始ピアニッシモで歌われる曲にしなければならない内容のものなのだが、詩の精神に反して終曲としての「はり」を持たせて了った。この点の失敗は私の作曲技術の未熟さによるものと深く反省している。散る桜は、これも私の好きなもの。しかし技術的にもっと練れていれば終曲であってもピアニッシモで続けても感銘深いものが出来たであろうと思うと、好きなだけに全く惜しい。

    ×   ×   ×

     以上、動機と作曲の時の寸感を書いた。聴後の忌憚のないご批判を賜りたい。    

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北村 協一
 この夏も又、ワグネルの諸兄と一緒に合宿をしました。若い彼らの巻き起こす、悪戯と笑いの中で、数日間を久しぶりでのんびりと楽しんだわけですが。一日8時間の猛練習のあいまをぬって遊ぶ彼らのエネルギーは大したもので、合宿所が湖畔でしたからボートに水泳にと走り廻っていました。僕も湖で陽に焼けたり、サイクリングに行ったりしましたが、一番激しかったのは悪戯で、僕の盛り付けの飯の中に福神漬を埋めこんだり、ぐるになってトランプで僕からアイスクリーム代をせしめたりでしたので、僕もソースと水で作ったコカコーラを飲ませ、手品と称して彼らの顔にインクを塗ったりして報いました。こんな具合で練習の時以外は彼らとまるで友達付き合いの僕なのです。ですから一昨年のロバートショウ合唱曲集の指揮、昨年の学生王子に続いて、今年もワグネルの定期に編曲をする事が出来たのも大変嬉しく思っています。僕はもともと女声合唱団の指揮者なのですが、編曲という形で男声合唱団の諸君とお付き合い出来るのはとてもよい事だと思います。
 畑中さんの情熱的な指揮で、彼らが、トスティーを美しく歌い上げて呉れる事を楽しみにしています。   

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福永 陽一郎
ワグネル讃

 慶應のワグネルソサィエティーの男声合唱団が、いまの日本で、一番素晴しい合唱を聞かせるコーラスであること。そしてそのT一番Uということに力を入れて発言することに、僕は全然ためらいを感じない。今年の春のある夜、ある瞬間、音楽がボクをとらえた。そのままその音楽につつまれた恍惚とした時間は二十数分間つづいた。そのときのような経験をボクはごく数回しか持っていない。そのうちの一つは、ブルーノ・ワルターがロスアンゼルスでベートーヴェンの第二交響曲も第二楽章をやっているのを聴いたときだ。そのとき、ボクは頭がツーンとして自分が演奏家の一人であることを忘れてしまい、世界が音楽の美しさだけでうずまっているのを、ワズカに知覚していただけだった。――今年の春、東京六大学の会で、ワグネルが「ジプシーの歌」を歌ったとき、同じようなことがおこった。
 このような経験を人にさせることが出来る合唱団が、日本にあるとしたら、それはワグネルの男声だけだと思う。だから、ボクは日本で一番素晴しい合唱団だと断言出来るのだ。しかし、そう断言しているとき、多少のねたましさを感じるのはいたしかたがない。ねたましいと、ボクに思わせるのは、だけれどいいことだ。もっと他の人々にもうらやましがられたり、ねたましがられたりするようなコーラスをして欲しい。そうするとみんなでワグネルに追いつこうとするようになる。そうして日本の合唱界が進歩して行く。素晴しいことではないか! ワグネルの演奏会の一つ一つが音楽にあふれたものであるように、諸兄のガンバリを期待しながら、讃美の言としたい。  

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